#262 [視覚芸術] 死後に評価が急上昇した、オランダの画家
第38週 第3日(水)視覚芸術「フィンセント・ファン・ゴッホ」
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。
今日は視覚芸術「フィンセント・ファン・ゴッホ」です。
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本の要約
■フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)
オランダを代表する芸術家の一人。生前に売れた絵画は1枚しかないが、今や彼の作品には一財産と言えるほどの値がつけられている。
ゴッホは、プロテスタントの牧師の息子としてオランダのズンデルトに生まれた。1869年には、画商グーピル商会で働くが、うまく行かず、1875年に牧師になる勉強を始めた。一時期ベルギーの南西部の炭鉱労働者に教えを説く仕事をしたが、貧しいものに持ち物を全部与えてしまうため牧師から解雇されてしまう。また、キリストの教えを忠実に守りすぎることが上司たちに気に入られなかった。
ゴッホが画家として活動したのは、1880年~1890年のわずか10年間に過ぎない。1888年の最初の精神疾患から2年後の1890年7月に銃で自分の胸を撃ち亡くなった。
ゴッホの死後、評価は急上昇した。
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「ジャガイモを食べる人々」(1885年)
オランダのニューネン在住時に描かれた作品。写実主義の画家から影響を受けていたゴッホは、当時の画家の多くと同じく、日本の浮世絵に関心を持っていた。
共同生活
1886年以降、二年間集中的に絵画制作に取り組んだ後、フランス南部のアルルに移り、農夫を描く夢を実現させようとした。1888年10月には、ポール・ゴーギャンを招いて共同生活が始まった。しかし同年のクリスマス・イヴに口論になり、ゴッホは自分の左耳を切り落とした。
…え?
この頃から精神疾患の兆候が出始めていたらしい。
ゴーギャンもさぞかし驚いたことだろう。