#50 [歴史] 100年あまりで北アフリカ、西アジア、スペインを制圧。圧倒する宗教の力。
第8週 第1日(月)歴史「イスラム教の広がり」
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。
今日は歴史「イスラム教の広がり」です。
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本の要約
632年、預言者ムハンマドの死後、彼がメッカで開いた宗教は驚異的なスピードで中東全域に広まった。アラビア半島、ペルシア、シリア、アルメニア、エジプト、北アフリカ、アフガニスタン、そして711年には現在のスペインを征服し、イスラム教をヨーロッパにもたらした。
三大陸にまたがるイスラム帝国は、分断を防ぐため首都をメッカから世界最古の都市ダマスカスに移す。
しかし8世紀半ばになると、分裂が始まり、覇を競い合う諸王朝のうち、最大勢力を誇ったアッバース朝は首都をバグダードに移した。
また、イベリア半島のイスラム教徒たちは独自の王朝を建てた。
分断は苛烈を極めるなか、文学と学問の繁栄がバグダードで開花。
732年、イスラム軍はフランスに進軍したが失敗に終わる。カール・マルテル率いるフランク王国軍が戦いに勝利したおかげでイスラム教がヨーロッパに広がらなかったとう言う説もある。
その後、ローマ教皇はヨーロッパ諸国の軍勢を中東に送り、イスラム教徒に対する聖戦を実施。
しかし、1258年、バグダードはモンゴル軍によって攻略された。
市内のいくつもの大図書館は焼かれ、100万人もの住民が殺害された。
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どうしてスペイン???
西アジアや北アフリカを征服していたのにどうして突然、ヨーロッパの端っこの方にあるスペインを征服できたのだろうか。スペインにたどり着くにはどうしてもヨーロッパ諸国を通らなきゃいけないと思うのに…
答えはgooglemapにあった。
もし、北アフリカ征服の中にモロッコも含まれているのならば、スペインのジブラルタルとモロッコのタンジェという都市がわずかな海がありながらもめちゃくちゃ近い!!
ここから侵攻したに違いない。
完全に東から攻めてくるものだと思いこんでいた。こういう地理上の接点が合ったのは意外。
それぞれの首都の位置を確認
■首都メッカ
サウジアラビアの西側紅海の近くにある都市。イスラム教最大の聖地とよばれるカーバ神殿がある。
■最古の首都ダマスカス
シリア南西に位置する都市。聖地エルサレムに近くなり、より宗教としての位置づけを強化したかったのかもしれない。
■首都バグダット
現在はバグダットと表記されていて、イラクの中心部に位置する。アッバース朝がこのあたりを中心に統治していたのかな。
■イベリア半島
スペインとポルトガルが専有する半島。スペインとフランスの間にはピレネー山脈というものがあり、ヨーロッパの他の地域と隔てられている。
たしかに山と海で他の国に比べると孤立しているがゆえ、独自の文化が生まれてもおかしくない。
目まぐるしい政権と世界情勢
7世紀から8世紀の100年弱あまりで西アジアとアフリカとスペインを征服するって歴史上最高範囲では??
ところでムハンマドの死後、イスラム世界の指導者みたいなものはいなかったのかな。一体誰がここまで大きくさせたのだろう。
また、モンゴル軍とは一体何なのか。まだまだわからないことがたくさんある。
本書も徐々に紀元前を脱出し年代が進んできているが、時代と歴史が順序よく頭の中で整理できないのが、もどかしい…