浦和レッズ戦マッチレビュー?〜hypnosis〜
このゲームをいつものマッチレビュー調(実際にはほぼレビューなんてしてない)で振り返ろうと思って文字を書き連ねていたが、なんかしっくり来なかった。
正しくは、僕の持ち合わせている表現力と今手元にある語彙力でこの試合を表現することは難しかった。
必死に誤魔化して取り繕った文面はどこか他人事のようで、"ヒーローたちへの憧れ"があまりにも前面に出過ぎてしまった。
自分の書いている文書がしっくり来なくてやり直すことは、4年前くらいにnoteを初めてから何度もあった。
それは、言い回しや表現により適切なものが思い浮かび、微修正を加える、言わばプラスの感情がそうさせたものである。
しかし、今さっき僕が消した5,000文字は、自分が目で見て、肌で感じて、心で掴んだ感情を上手く文字として落とし込むことが出来ていない、圧倒的マイナスの感情であった。
そう。この日僕が見た"敗者"たちは、とてもカッコよかった。
勝ち点こそ奪えなかったが、心はプラスの感情で満たされていた。
だから、ここに今から思ったことをつらつらと書き連ねていく。時系列や、体裁は一旦無視して。とにかく書き連ねていく。
この"殴り書きnote"を公開するかは一旦書き終えてから決めるが、今貴方とこうして文字を通して目が合っているということは、公開しているということなのであろう。スキボタン押しておいてね。ありがとう。
4人のゴールキーパー
僕は小学生の頃からずっとサッカーをやっている。今の今までずっと、ずっとボールを蹴ってきた。
僕のポジションは小学3年からゴールキーパー。みんなとは違う色のユニフォームを見に纏い、グローブを付け、このチームで唯一手を使うことが出来る。特別なポジションである。
ゴールキーパーは、普段のトレーニングからみんなとは別メニューだ。
ゴールキーパーコーチの指導の元、キーパーのトレーニングに徹する。もちろん、たまにロンドや鳥籠と言ったパストレーニングをフィールドプレイヤーき混じってやることはあるものの、基本は別メニュー。みんなとは違うトレーニングをこなす。
これはもしかしたら僕だけかもしれないが、ゴールキーパーは自身のポジションに誇りを持ち、日々を送っている。(はずである。)
もちろん、華やかでスポットライトが当たりがちなFWを僻んだことが無いと言えば嘘になる。俺たちが何本シュートを止めても、奴らが1点取れば主役はそっちだ。
でも、それでいい。それでも良いくらい、このポジションに誇りを持っている。特殊なポジションを任されることに使命感と、プライドを持っている。少なくとも、僕はそうだ。
だからこそ、浦和戦のピッチに"フィールドプレイヤーのユニフォーム"を着た安藤と早坂が出てきた時、僕は少し複雑な心境になった。
不可抗力のクラブ事情。こればっかりは誰の責任でも無い。
とはいえ、ゴールキーパーとしてトレーニングを積み、"ゴールキーパーの実力が認められて"プロになり、お金を稼いでいる彼らがフィールドのユニフォームを着て、大勢と同じようにアップをするということ。
事情が事情とは言え、彼らにとってそんなに簡単に飲み込めたものでは無かったのではなかろうか。
最初から「このゲームではゴールキーパーとしては扱わない」と言われたのと同義だ。きっと飲み込むのはそんなに容易ではなかったはずだ。
それでも、堂々とピッチインした彼らに僕は胸を打たれた。
ベンチ入り要員が足りず、ゴールキーパーが全員出動することになった。分かる。事情は理解できる。でも、それならゴールキーパーのユニフォームを着させてくれ。ゴールキーパーとしてベンチ入りさせてくれ。
僕なら、きっとそう思う。ましてや練習試合や消化試合でも無い、絶対勝ち点3が欲しいリーグ戦。人生でほぼやってこなかった(であろう)フィールドでのプレーより、戦い慣れたゴールマウスでのプレーをさせて欲しい。そう思うはずである。
でも、彼らからは、ゴールキーパーとしてお金を稼ぎ、生活をしている彼らからは、そういった想いは一切感じられなかった。
彼らは、堂々と、埼玉スタジアムのピッチの上に立っていた。
そんな彼らを見て、僕はハッとさせられた。
白いユニフォームを着て、緑のユニフォームの丹野と並んでピッチ上の選手を鼓舞し続ける姿は「今、自分達にやれることを120%でやろう」なんて想いだろうか。
彼らのこのゲームに対する覚悟すら感じた。
プロサッカープレイヤーとしての、覚悟を感じた。
いつも一緒にトレーニングを積んでいる丹野とは異なる色のユニフォームを着て同じ場所に立ち、ピッチ上のソンリョンを見守る。きっと、想像以上に様々な葛藤があったのではないか。そんな気がしている。
僕はずっとゴールキーパーだったからこそ、このポジションに対するプライドや拘りを知っている。
アマチュアである、草サッカープレイヤーの僕だってそれなりの思い入れがある。
ましてや彼らはプロ。その手で、その職業を掴んだほんの一握りの勝ち組だ。
僕は、彼らの全力で、真っ直ぐな姿勢でこのゲームに向かうその姿に胸を打たれた。
きっと、これは愛だ。
ふと、そんなことを感じた。
もしかしたら、勘違いかもしれない。
それでも、これは愛。そんな気がしてならなかった。
彼らがそのユニフォームを着てピッチに立っているのは、他ならぬ川崎フロンターレ愛なのではないか。
フィールドプレイヤーの自分達に何が出来るか分からない。それでも、120%でこのゲームに挑む。
とにかく鼓舞をして、盛り上げて、勝ちを掴みに行く。
愛が故に下すことが出来た決断なのではないか。
都合のいいサポーターの勘違い。
そうかもしれない。
それでも、そんな安藤と早坂の姿に胸を打たれた。
シンプルに、2人がカッコよかった。
彼らの立ち振る舞いを見たとき、僕はこのチームが、川崎フロンターレが好きでよかったと心の底から思えた。
本当に、川崎フロンターレが好きであることが誇らしくて誇らしくて仕方がなかった。
この戦いの先にあるものは
結局、川崎フロンターレは1-3で敗れた。
一時は家長昭博のPKで1点差に迫るも、明らかにコンディションには差があった。
僕はアウェイ指定席からこのゲームを見ていた。
ゲームが終わると、自然と周りの人たちが立ち上がった。
アウェイゴール裏にやってきた選手たちに、スタンディングオベーションとも言える温かな拍手が送られた。
後から聞いた話によると、どうやら浦和サポーター南ゴール裏の方々も川崎フロンターレへ拍手を送って下さったらしい。本当にありがとうございます。
勝てなかった。
心身ともにズタボロの状態で戦ったヒーローたちは、勝てなかった。
それでも、何故か身体が自然と立ち上がり、自然と彼らに拍手を送っていた。
きっと、同じような感覚の方が現地に居たのではないか。
そんな90分だった。
このゲームを戦い抜いたヒーロー達を、僕は誇りに思った。
目の前でこのゲームを見ていた夫婦の川崎フロンターレサポーター。
隣でこのゲームを見ていた親子の川崎フロンターレサポーター。
お子さんは、まだ小さかった。大きな大きなユニフォームをワンピースのように着ていて可愛かった。
僕は、彼らのことは知らない。喋ったこともない。
それでも、どこか繋がりを感じた。
それは「川崎フロンターレ」という目に見える共通項ではなく、もっともっと深く、奥深くで繋がった。そんな感覚だった。
今、こうして文章に落としているとその理由が分かる。
僕たちは、あの日、埼玉スタジアムで同じ感情を持っていた。
心の底から同じ感情を抱いていた。
きっと、僕はそれを"繋がり"だと感じたのであろう。
とても不思議な感覚だった。あまりサッカー観戦では得ることの出来ない、不思議な感覚だった。
自分自身の下らない話で恐縮ではあるが、僕は高校の頃「腰椎分離症」という怪我をしたことがある。
腰椎が潰れるような?圧縮されるような?状況で、1番きつい時は歩くのさえやっとであった。
僕の入学した高校はそこそこサッカーが強かった。みんな、本気でサッカーがやりたくて推薦を勝ち取って入ってきた人たちであった。
そんな環境に身を置いていると、怪我をするたびに居場所が無くなって行くような、そんなメンタリティに陥る。1番良くない動向だ。分かっている。わかっていても止められない。そんな負の連鎖が止まらなくなる。
腰椎分離症は、全治6ヶ月と診断された。
「ふざけんな。無理だ!」
僕は、MRIの診断結果からそう言い渡された時、恥ずかしながら病院でで取り乱した。
身体もボロボロだったが、サッカーが出来ない焦りで日に日に心もボロボロになっていった。
そんなどん底の淵にいた時、テレビで大好きなMr.Childrenが新曲を歌うことを知った。
久々に「楽しみ」という感情に溢れ、プラスの心情で僕はテレビの前に構えた。
マイクを握った桜井さんは、新曲「hypnosis」を歌い始めた。
桜井さんの声が、いつもとは違った。
全然高音が出ず、苦しそうだった。
それでもテレビの前の桜井さんは、出ない高音をシャウトを使いながら何とか歌い上げた。
ファンからすると、なかなかショッキングな、心配になるような演奏であった。
でも、当時の僕にはその桜井さんの魂の叫びが響いた。
「なんだ。あれだけ日本中にファンが居て、あれだけみんなを虜にしている桜井さんでも調子悪い時あるんじゃん。」
失礼ながら、そんな心境に陥った。
でも、その瞬間、しばらく換気が出来ていなかった心にスーッと風が通り抜けるかのように、気分が楽になったのを感じた。
そして気付いた。全然声が出ていなかった桜井さんは、それでも歌うことから逃げていなかった。
「このコンディションでも、真正面から歌うのか。桜井さん。凄いな。」
あの日、全然声が出ていない桜井さんの歌声を聴いて、僕は救われた。今こうして楽しく過ごせているもの、間違いなくあの日の出会いがあったからだ。
話を戻すと、この日のフロンターレもきっと、誰かにとってそんな存在になれているんじゃないかと。
僕が全然声が出ていなかったヒーローに救われたように、ズタボロになって、それでも這いつくばるように戦った川崎フロンターレに胸を打たれた人がいる気がした。
「なんだ。川崎フロンターレでもこんなに苦しいことがあるんじゃん。でも、川崎フロンターレは真っ向からぶつかっていったのか。よし、俺ももう少し頑張ってみよ。」
このゲームを見て、そんな風に救われた人が絶対いる。
そう。必ずしも「かっこいいヒーロー」だけが僕たちの人生を変えるわけじゃない。僕の人生を変えたのは「苦しんで、もがいて、それでも前を向いているヒーロー」だった。
オブラートに包んで 何度も飲み込んだ悔しさが
今歯軋りをしながら 僕を突き動かす
あの日、桜井さんが魂で歌い切ったhypnosisという歌。
この日目で見て、肌で感じて、心で受け取ったものは、必ずここからの川崎フロンターレを突き動かす。
選手達の表情を見て、それを確信した。
このゲームで川崎フロンターレは確かに勝ち点0に終わった。
それでも、積み上げられなかった勝ち点より大きなものを掴んだ気がしている。
このゲームが意味するもの。それは、きっと、この先の川崎フロンターレを突き動かす原動力になるであろう。
このチームが好きでよかった。
川崎フロンターレが好きでよかった。
そんなシンプルな想いを得て、僕は埼玉スタジアム2002を後にした。
夏の夜の涼しい風が、あの日のように僕の心をすり抜けた。
……ヒーローへの憧れが全面に出過ぎて1回全部削除して書き直したのに、結局同じものが前面に出てしまった。まぁいいか。川崎フロンターレへの愛だ。これもきっと、愛だ。