何にお金を払うのか。見えない価値にお金を払う。
#20230607-129
2023年6月7日(水)
丁寧にカラリーング剤を髪に塗られ、ペッタリとした頭部は小坊主――味噌メーカーのキャラクターのようだ。
美容院の鏡に映った自分の姿に笑ってしまう。黒いケープもなんだか珍妙。
窓際の席は明るい外の景色がよく見えて、美容院後の時間に思いを馳せてしまう。
美容院と病院(定期通院の婦人科)の日は、「私の日」だ。
よほどのことがない限り、むーくん(夫)の休日に予約を取り、ノコ(娘小4)のお世話を丸投げしている。
13時半には美容院を出られるはずだ。
遅いランチをどこで食べよう。
平日の昼間でも賑わう街中だから、食べるところはいくらでもある。
人に会いたい。
髪が染まるのを待つあいだ、高校時代の友だちに連絡を入れてみる。
すぐに返信が届き、仕事中だがもうすぐ昼休みだから職場の近くまで来てくれれば一緒にランチができるという。
よし、行こう!
彼女が送ってくれた職場の住所からどうやって行くか決める。
昼休みゆえ、会えたのは1時間ほど。
女子高時代のこの友だちと会うのは1年半振り。
前回はお喋りの時間を少しでも長くしたいと我が家の近くまで来てくれた。そうすれば、私の移動時間は短くなるし、ノコの下校時刻ギリギリまで一緒にいられる。家の近くには洒落たカフェのひとつもないのでファミレスでのランチになったが、「はちさんと喋るのが目的だから」と笑っていた。
ありがたい限り。
注文を済ませ、お互いの近況をざっと話す。話したいことがたくさんあって、おいしいランチなのに食べるのがもどかしい。
1時間弱とは思えないほど濃い時間になった。
彼女の職場の元後輩という女性の話がとても興味深かった。
10ばかり年下で今は退職し、起業しているという。
とにかく「これはお金になる」と思ったら、パッと何をすべきか考えて即行動。友だちは「失敗もいっぱいしているんだけどね」というが、とにかく実行する件数が多い。
後輩さんを私なりに読み解くと、
・何にお金と時間をかけるべきか、割り切っている。
(家事は外注。その分、仕事と子育てに当てる。)
・足りないものがあれば即学ぶ。またはその知識のある人を雇う。
・「買い手が何にお金を払うのか」の見極めが鋭い。
「売るからには」「教えるからには」という枠にとらわれず、買い手が本当に欲しいものに気付き、そこをターゲットにしている。
私の母のことを思い出した。
母は長年手芸関係の習い事をしていて、腕前もかなりのものだ。次々作品に取り組むから増える。それらを使って、アクセサリーや小物も作っている。
いっそインターネットなどで販売したら、と提案したこともあるが、母は「売るからには責任が伴う」といって頑なに首を縦に振らなかった。
きちんと作っているつもりだが、もしもすぐ壊れたら申し訳ない。
「売るからには」とハードルを上げている。もちろん無責任に商品を作るべきではないが、それに見合った価格設定をすればいいし、また繊細な品であることを明記すれば、それを承知の上でその金額に納得した人が購入するともいえる。
そのへんの割り切りが難しいようだ。
またお教室を開くことも同様で、「教えるからには」どんな質問にも答えられねばと気負ってしまう。
一方、母の知り合いにはカルチャースクールで数回習っただけで、近所の方を集めてお教室を開く人もいる。母はその度胸が信じられないというが、生徒さんがそのお教室に求めているものが違うのだろう。
・教えてもらう内容に高レベルなことを求めていない。
・レッスン費がお手頃であればいい。
・集まって手を動かしながらお喋りしたいだけ。
・家ではない場所で過ごしたいだけ。
こういうケースならば、「教えるからには」という気負いは不要だ。
買い手は、そのレッスンの時間で作れるちょっとした物とお喋りできる環境にお金を払っている。
母の例を挙げたが、友だちの後輩さんの嗅覚はそこに向いていた。
人は何かを買うとき、実はその商品ではなく、そこに付随する「見えない何か」に価値を見出し、お金を払う場合もある。
そこに売り手も気付けば、「売るからには」「教えるからには」という枠に縛られず、その見えない価値に買い手は「お金を払って満足しているのだからいいんだ」と思える。
もちろん売り手と買い手、相互が納得できるよう、そのことをきちんと書くことは必要だが、売り手が「見えない価値」に気付けなければ明記できない。
お商売をしている人には、何を今さらという話だろう。
ただ漠然と商品そのものだけを見て購入していると気付かない世界。
そこに注目して、世の中に売られているものを見回すと俄然おもしろくなってきた。
帰宅後、私はこの話をむーくんする。
夜、寝つきが悪かったのは、珍しく夕方に飲んだコーヒーのせいだけではなさそうだ。
頭の芯がチリチリと興奮している。