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秋の「淋しさ」の正体は。
#20240904-461
2024年9月4日(水)
この夏はまた一段と暑さが厳しかった。
異常気象も続けば、これが次第に「通常」になるのだろう。
ノコ(娘小5)が大人になるころには、夏といえば気温が高すぎて外にも出られず。公園に行っても遊具は火傷しそうなほど熱せられ遊べない。蚊すらこの猛暑に出るに出られず、蝉が夜になっても鳴き続ける。出掛けるには、水筒はもちろん、首を冷やすクールネックや携帯扇風機が必須。熱中症予防の塩タブレットをバッグに忍ばせる。
これがきっとノコが思い出す夏になるのかもしれない。
そんな酷暑も9月に入ると、さまがわりした。
思わず「涼しい」という言葉が口からもれる日がある。
陽差しのあるところはまだ暑いが、一歩日陰に入れば空気が違う。
半世紀以上日本に住み、四季の移ろいはたんまり経験したのに暑さも寒さもきちんと終わることに毎回驚く。
いい加減、学べよ、おい!
そう突っ込みたくなる。
1年振りに再会した季節は同じようで、ちょっぴり違う顔を私に見せる。
カネタタキのチンチンというかわいらしい音に。
朝に晩に、植え込みの影から立ち上がるリリリとすりあう虫の翅に。
軽くなった空気に。
見上げる空の高さに。
洗濯物を取り込む時刻が早くなったことに。
小さな秋に見つけるたび、私の頬がふんわりゆるむ。
――また会えて嬉しいよ。
そして、少し淋しくもなる。
暑さに張っていた気がゆるんだからだと思っている。
暑さに負けまいと私の心はパンパンにふくらみ、全方位を警戒していた。ゆるんだところがあれば、そこを狙われるかと緊張していた。
それがほんの少し過ごしやすくなっただけで、力が抜けた。
いい加減、張り詰め続けるのに疲れたのもある。張りがゆるんでできた空間に秋の風がするりと入り込む。
秋に感じる淋しさの正体は、これだと私は思っている。
隙間を心地よい風が抜けていく。
私の緊張が解けていく。
あと1年は、熱中症対策フル装備で炎天下に出撃していく日はこない。
気を張らないことに慣れてきたら、隙間を埋めたくなる。
暑さと戦うために追い出していた「あれやりたい」「これやりたい」が戻ってくる。
まだ暑さもしばらく残るだろう。
今のうち、ゆるんだ心にだらしなく馴染んでしまう前に、「やりたい」たちを整頓しよう。
年々短くなる秋を味わい尽くすために、心地よい淋しさに溺れちゃあいけない。
それでも、すーすーと抜けるくらいのちょっぴりの淋しさは胸に抱いていたほうがいい。
その淋しさがあるだけで、「今」に重みがでる。
淋しさがこれ以上、膨らんで、私をどこかへ運んでいかないよう、しっかと「今」にしがみつく。
「やりたい」で淋しさの増幅を止め、「今」を見て。
でも、ちょっとだけ秋風が通れるくらいの「淋しさ」を残しておく。
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