母、70代の警戒心。
#20241023-480
2024年10月23日(水)
先日、誕生日を迎えて77歳になった母がいう。
「もう。ほんとうに怖くて怖くて」
友だちから喜寿のお祝いとして花が届いた。
母は今にはじまったことではないが、父がいないと不安でたまらなくなる。父は体格がいいわけでもなく、ましてや会社員ではあったがスーパーマンではない。
だが、母は父がいれば「安心」なのだ。
現役時代の父は出張が多く、国内外忙しく飛びまわっていた。海外となれば不在は長期になった。社宅の集合住宅住まいであったから、玄関ドアとベランダ側の窓の戸締りさえしっかりすれば、一軒家より怖くないと思う。
それでも、母は気を張りつめ、子どもだった私にも伝わった。
今、父は末期がんになり、自宅療養と入院を繰り返している。
頼りの父の命が短いと主治医に宣告され、ただでさえ母の心は揺らいでいるのに、父が入院となれば母は家にひとりだ。
そんな折り、花が届いた。
しかも小雨の降る夕刻で、インターホンのカメラでは暗くて相手がよく見えない。
「どちら様ですか?」
玄関先にあるインターホンに向かって相手は答えているが、聞き取れない。母が問うては相手が返すというやりとりが数回続いたという。
ようやく宅配業者だとわかり、恐る恐る玄関ドアを開けたら素敵なフラワーアレンジメントだった。
お礼の電話をしたところ、友だちがいった言葉に私は驚いた。
「突然荷物が届いたら驚かせてしまうから、事前にお花を贈ることを伝えようかとも思ったのだけど。怖がらせて、ごめんなさい」
お祝いだし、サプライズにしたかったのだという。
母は友だちに対して、インターホンを鳴らした相手が宅配業者だとわからず怖かったとは一言もいっていない。
母の怖がりは昔からだが、友だちがそれを知っているわけではない。
それなのに、荷物ひとつ送るのに「怖がらせてしまうかも」と気をもむのか。
宅配業者だと名乗られれば、疑いもせずに玄関ドアを開けてしまうのも考えものだが、昨今の母世代の警戒心の強さは、これが一般的なのだろうか。
父の病でタイミングを逃してしまったが、私も近いうちに母に誕生日の贈り物をしたいと思っていた。だが、こんなに警戒されるのなら、宅配で送るのもためらわれる。手持ちするにも、父が入退院を繰り返すなか、いつどこで渡すかも難しい。
母の話に、インターネットで注文し、配送される買い物をごく普通にしている私は戸惑ってしまった。
今日は実家に来ている。
父は幸いなことにどこも痛みがなく、家のなかをひょいひょいと歩いている。
私が訪れたときには、座布団にあぐらをかき、不要な書類を処分していた。
「おう、来たか」
父が顔を上げ、笑う。
昨日から食欲がないと母から聞いていたが、いきなり劇的に痩せはしない。
膝下に赤い斑点が浮きはじめた。医師がいうには内出血をしているそうだ。搔きむしっていないから出血は皮膚の下でおさまっているのであって、父の血液の状態は悪い。
「足はどうなの?」
私は父のズボンの裾をぺろりとめくり、その赤い斑点を確認する。やさしくなでると、血が足らず血行不良なのかひんやり冷たい。
「痛くも痒くもねえが、カサカサだったから保湿剤を出してくれてね。ほら、ベッタリ塗ってやった」
ついたままのTVは消音にしてあり、映像だけが流れている。
やかましさはいらないが、2人だけの静かな居間に動くものがほしいのだろう。
「闇バイト」の勧誘手口をはじめ、最近続けて起きたインターネットなどで集めた見知らぬ人同士が人家を襲う事件が取り上げられていた。
その話題がこれでもかといわんばかりに、延々と続く。
闇バイト、素人強盗の恐怖、指示役、下見のための訪問、抜けたくても脅迫されて抜けられない。
私はワイドショー番組の類いは見ない。
そもそもひとりで家にいるときはTVをつけない。
我が家にはTV大好きっ娘の小学生がいるため、宿題が終わらないうちは気軽につけられない。
たくさんの番組から「観たい番組」を選ぶのも好みに沿った偏りが生じるだろうが、放送されているものをただ流しているのも他者が与えたいものという偏りが生じる。
父母の世代は、地上波放送のTV番組を見る人が多い。
こうやって、毎日のように老人をだまし、襲うような事件の報道を見ていたら、警戒心が強くなるのも納得がいった。
警戒心がないのも心配だが、母のようにあちこちに疑いの目を向けるのも疲れるだろう。
病院からの連絡のためにスマートフォンの番号を教えるのも母はためらい、固定電話の番号を告げていた。病院と自宅を行き来するなか、いつ緊急連絡が入るかわからない状況にも関わらずだ。
この個人情報を「教える/教えない」の匙加減が母には難しいのだろう。
わからないものは、怖い。
だから、わかればいいというのは簡単だ。
父母世代とひとくくりにしては失礼かもしれないが、とにかく母には「わかるための労力」が大き過ぎるのだ。