娘を「さん」付けで呼ぶことについて。それは私にとって呪文。
#20230525-120
2023年5月25日(木)
児童相談所での面談日。
春の異動で我が家担当のケースワーカーさんは全員顔触れが変わった。
「どうして『さん』付けなんですか?」
里親担当のケースワーカーさんが問う。既に4月にもお会いしているので、今日が初日ではない。担当になってからずっと気になっていて、一度お尋きしたかったと笑う。
私はほぼ里子のノコ(娘小4)のことを「ノコさん」と呼ぶ。
まったく「ちゃん」付けや呼び捨てにしないわけではないし、ごくたまにノコと私の間だけの愛称で呼ぶこともある。対して、むーくん(夫)は「ノコ」と呼び捨てだ。
出会ったときは違った。
交流中、委託直後は「ちゃん」付けで呼んでいた。それから「ノコ」と呼び捨てになりーー当時、先輩里親さんから「もう呼び捨てができるんだね」といわれ、驚きとともにノコとの関係が強く見えたのかと誇らしく感じたーーそれからしばらくして「さん」付けに移行した。
呼び捨てをはじめた当時、ノコはとても嫌がった。
「大事にされていない気がする」と拒んだ。
施設育ちのノコはおそらく保育士さんや職員さんから呼び捨てにされることがなかったのかもしれない。
だが、幼稚園でお会いする親御さん方は我が子に対して呼び捨てが多く、「ちゃん」付けは甘ったるく響いた。
「さん」付けに変わったのは、ノコを受託して2年目だった。
ノコとの関係がこじれ、どうしたらいいのかわからず、私の精神状態が悪くなった。委託解除寸前までいったと思う。
そんな折り、ベテランの先輩里母さんが私を支えてくださった。
彼女の指示で私は毎日自分の精神状態を報告し、それによって自分を客観的に見られるようになり、ノコの不安定さに巻き込まれなくなっていった。
彼女が里子を「さん」付けで呼んでいた。それがとても印象的だった。
未委託里親時代に里親研修で知った「子どもの人権」を思い出した。
私の子ども時代には身近でなかった人権の講義が新鮮でおもしろく、ガツンと頭を殴られたほど衝撃的でもあった。考えれば当たり前のことなのに、なんておざなりにされ、おざなりにしてきたんだろう。
「ノコさん」
私がそう呼ぶのは呪文だ。
当たり前なんだけど、ノコは私と違う人間であることを自分に気付かせるための呪文。
里子のノコは私が産んでいない。
実子がいない私は腹を痛めて産むこともわからない。
だから、子どもに対して自分の分身であるような錯覚、誤解はしないと思っていたが、未熟な存在としてどこかコントロールできると思っていたのかもしれない。
コントロールはいい過ぎか。
経験量の多さから、よりよいと「私が」思う方向へ導けると思っていたのかもしれない。
生まれて数年とはいえ、ノコはノコだ。
ノコの考えがあり、ノコの感じ方がある。
まだ語彙は少ないし、言語化する能力は確かに未熟だが、考えていないわけではないし、感じていないわけでもない。
読み取るのも、察するのも実に実に難しいが、ノコは私の延長線上になく、ノコはノコだ。
だから、私は1人の人間として向き合いたいから「ノコさん」と呼ぶ。
そう説明したが、ケースワーカーさんにはどうにも違和感が強かったようだ。
「さん付けだと、ノコちゃんは疎外感を感じたりしませんか? 家族じゃないような気持ちになっていませんか?」
確かにノコのお友だちの前でノコを「さん」付けで呼ぶと、「なんで『さん』なの?」と口々に問われた。
私はその度に「1人の人間として大切に思っているからだよ」と返した。
幼稚園児や小学校低学年の子どもだちには理解不能だったようで、奇異な目で見られた。
そういえば、むーくんもつきあいはじめは名前に「さん」付け呼んでいたが、「なんか距離を感じるから違う呼び方にして」といわれた。
どう呼べばいいのかわからず戸惑っていたら、結局むーくん自身が「むーくんがいい」といった。むーくんの場合、自己申告による「むーくん」呼びだ。
「ノコちゃんに呼び方について尋いてみてはどうですか?」
ケースワーカーさんがいった。
確かに時間というか、成長とともに気持ちも考えも変わる。
あれほど呼び捨ては嫌がっていたノコだが、3年生に進級したあたりから友だちを呼び捨てにする。本人曰く「仲いい感じがするじゃん」だった。
たまには確認して更新しよう。
ノコの気分がよさげなときを見計らって尋ねてみた。
「ねぇ、ノコさん。ママがノコさんを呼ぶときね、さん付けとちゃん付けと呼び捨てと・・・まぁそのほかと、どれがいい?」
なにを今更?
ノコが眉間に皺を寄せてキッと私を見る。
「さんがいい!」
「また数年後に尋くと思うけど、考えや気持ちが変わってたら教えてね」
ことの重さをノコは払いのけ、私の手を引っ張る。
「ねぇ、ママ。前にやってくれた食べ物クイズ出して。ママが作り方をいってさ、私が当てるやつ」
レシピを思い巡らせ、空を見上げると、日がだいぶ延びたことに気付く。
少しずつ長くなっているのだろうが、不思議なことに気付くときはいきなり長くなったように感じる。
まだこんなに空が明るい。