人の本質なんて、簡単に変わらないのだ。【その1】
#20230801-185
2023年8月1日(火)
ノコ(娘小4)が習い事の夏合宿に行っている。
レスパイト・ケアという制度が里親にはあるが、ケアから帰ってきたノコの反動を思うと我が家は積極的に使えない。
数時間ならいいのだが、宿泊が入ると気が重くなる。
(※ 参照 過去のレスパイト・ケア関連の記事 「びっくりこ!」「#20230712-164 親の体調が悪くなったとき、子どもの心はどう動く。」)
その点、習い事の合宿はよい。
子どもたちが一斉に解散し、それぞれの家庭に帰っていくため、「帰らない」と駄々をこねる子がいない。宿泊先が家庭ではないため、ほかの家庭のパパママと比較ができない。一緒に過ごした友だちと別れるのは淋しいが、皆「帰る場所がある」という点が同じだ。
我が家にとって、習い事の合宿がレスパイト・ケアになっている。
もちろんノコの意思を尊重し、無理矢理行かせることはしない。
合宿にはもう何回も行っているが、ノコも不安がないわけではない。だが、習い事先で友だちの口から合宿に申し込んだという話が出れば、「私も行きたい」となる。
連日こうも暑いと、公園は蝉の声ばかりで子どもの姿はない。強い陽差しを反射して公園の砂地は白く光り、まばゆいほどだ。
公園に行けば誰かがいるなんていう私の子ども時代とは違う。
合宿は、近い年頃の友だちと一緒に過ごせるため、ノコにとっても気分転換になっている。
ノコを送った初日は、むーくん(夫)と存分に遊んだ。
(※ 参照「#20230731-184 大人時間、遊びまくり。」
2日目、3日目、むーくんは勤務がある。
ノコがいない間に、家のなかをガッツリ片付けて、帰ってきたノコを驚かせてやろうと思っていた。
2日目の今日は、洗濯や食器洗い、夕飯の支度などの最低限の家事をしたのみ。
あとは、うつらうつらと眠っていた。
晴天続きが一転、珍しく雷鳴がゴロゴロと頭上で轟き、時折ザッと雨が降った。
TV好きのノコがいると、見るでもなくBGMのようにTVをつけておくことができない。
再放送の刑事ドラマをつけたまま、エアコンがほどよくきいた居間のソファーに横たわり、眠る。
惰眠だ、惰眠。
惰眠をむさぼる。
殺人事件が起こり、TV画面のなかではキャーだのギャーだの叫んでいるが、知ったこっちゃない。真っ黒な雨雲が空を覆い、部屋がサッと暗くなり、ドッシャンドッシャン空が鳴っているが、知ったこっちゃない。
もともと私はよく眠る。
実家暮らしのときも。結婚してからも。
ノコが来て、睡眠時間が減った。ノコがなかなか寝なかったり、夜泣きをしたり、予定より早く目が覚めて起こしに来たり。
子どものいる家では、よくあることだ。
最近見なかったーー見たものの覚えていないだけなのかもしれない夢をたくさんたくさん見た。目を開けては、夢の続きが気になってまた目をつぶる。
「いっぱい寝ちゃった」
今日一日仕事をしてきたむーくんにそう告げるのは、ちょっと恥ずかしい。
「寝ろ寝ろ。こういうときしか寝れないからな」
むーくんは朝出勤したときと家のなかが変わっていなくとも、何もいわない。
~【その2】へ続く~