連載【癌で死ぬか死刑が先か・3】母親の思い出...不良の道へ
※ お読みになる方へ : 事件の詳細が書かれており、不快な思いをされる場合がございます。ご注意ください。
俺が生まれたのは昭和49年6月28日です。
出生届は愛知県豊田市と成ってます。
俺の父は母や伯母に聞くところ、酒、ギャンブル狂に母や俺への暴力の毎日が絶え間なく続いたそうです。俺はまだ、1歳前後で父からタバコの火を身体に押しつけられたり、家の中は包丁が飛んでたそうです。それが嫌で母は俺と姉を連れて家を飛びだし、親戚の家を廻って宿めてもらったりし乍ら、静岡県浜松市へ母と俺と姉の3人で向ったそうです。
仕事は夜の水商売で働き、その間は姉と俺は託児所にあずけられていました。
記憶は殆ど無いのですが、託児所だと思いますが、そこにあずけられていた年長の子供にズボンのベルトを目の前でバンバン鳴らされて、怖くて泣いていた記憶だけは今でも覚えています。
母親には俺が物心が付くころには、男が居ました。不倫です。
姉が幼稚園に入った頃から、2人で夜は家で留守番の日々が続き、姉は俺より2つ上なのですが、俺がトイレに1人で行けないので、姉について来てもらってました。ドアは開けっぱなしです。
家の廻りは田圃が多くて、田圃の中のカエルや色々な生き物を捕まえてました。姉とカエル競争もよくした記憶があります。田圃の持ち主が、俺が、田圃を荒らすので、よく母が注意されていたそうで、俺はよく母や母の男からちょくちょく怒られては叩かれていました。
小学1年の頃には母親は小さな2階建でスナックを経営していて、2階を住いにしてました。
この頃は、より一層に母と男の暴力が増えていった気がします。
大概の怒られる原因は、俺がヤンチャだったので、人様の物を傷付けたりしたりして、怒られ叩かれて、よく手錠とかもされました。
機嫌が悪いとラーメンを食べてる時にズルズル音を立てるだけで、叱られるので食欲は失せてました。
母親はスナック経営を辞め、引っ越して、水商売で又、働き始めました。
その頃は母親の男が6時頃には出勤する為に車で迎えに来ていて、夕食も一緒に食べてました。
俺はどうもこの男が嫌いでだったので、食べ終わると、同じ部屋にも居たくなく、姉と俺の部屋にされている、部屋に一人で居る事が多く、姉は何故かその男と一緒の部屋にいることが苦にならないらしく、俺は姉に対しても腹が立ってました。
それらもあり、よく姉をイジメてましたが、母親の耳に入り、今度は俺が叱られる番でした。
その頃の母は、仕事の帰りなので、お酒も入っており、夜中の1時2時に叩き起こされて、正座をさせられて、母と向き合い目を見なさいと言われ、ちょっと見ると叩かれ、ちゃんと目を見ても、いつ手が飛んでくるのか判らず、ビクビクし乍ら知らない間に記憶が飛んでいた事はよくありました。
余りにも叱ったり怒ったりするので、子供の頃は母の愛情を知りたくて、母が水商売の仕事から帰って来て、俺は押し入れの中に隠れて、母が俺が居ないのに気付いて、探し俺を見付けてくれて、抱いてくれると信じて、実行しました。
ですが、母は、俺の顔を叩いて、早く寝なさいで終り、俺の求めてる愛情とは掛け離れてました。
子供心ながら、それはショックでした。俺の事が嫌いなのかな?って。
母親は完全なる子供よりも自分の男に対する気持ちが強く、俺が男から理不尽に殴られても、手錠を嵌められても見て見ぬ振りで、そんな母を時に憎んでた。
男に一途はいいが、末まで3人の男と付き合ってる母親は全てが妻持ちの不倫ばかり。子供の頃はその不倫って意味が分からず、何故、この、おじさんは家に来たり、泊まったり、食事をするのだろうか?と不快でならなかった。同じ空気でさえ部屋の中で吸うのも嫌な程だったので、食事を食べたら、直ぐ、自分と姉の部屋に戻っていた。
姉は何故、あんな男と一緒に居られるんだ…?
姉自身は一度も、男からの暴力を受けてないからか?
俺は家族の中で一人浮いた存在か。
何か母親を取られたようで、夕方には水商売に行くので、なかなか、男の前では話せないし、甘えれない。
そんな風に学校から帰っても友達と遊んでたら擦れ違いばかりの子供時代でした。
俺は恥ずかし乍ら、小学校3年の1学期まで、指しゃぶりをしてました。もちろん小学校ではしてません。家の中です。落ち着くんです。これが(笑)
小学校高学年から中学1~2年の頭ごろまでは、よく姉関係でイジメられてました。姉の弟ってだけで…姉は2つ上なんですが、女子より男子にイジメられてました。
その男子が俺によくイジメてくるので、流石に俺も耐えれなくなって、殴りました。俺は体は大きい方なので、6年生だろうが泣かせてやりました。
が、中学入学が一番怖かったですね (汗)
相手は先輩であり、それも、中1と中3では当時はとにかく怖く、やはり、俺が殴った奴らの仲間から、ちょくちょく嫌がらせをされました。
当時の友達も俺と一緒に居ると巻き込まれると思ったのか、段々と俺の周りから人が居なくなった。
俺が中学2年生に上がり、やっと3年生が卒業して、イジメが無くなると思った矢先…サッカー部の先輩から、後の背中にサッカーボールをもろに受けた。まだ、卒業した先輩からのイジメが引き継がれてたのだ。
俺は頭に血が昇り、そのボールを蹴った奴を、とことん殴った、悪い態度じゃないとか言い訳を言っていたが俺は許せなかった。
周りに止められ、俺はそいつに唾を吐いて、その場から帰った。
この話が、不良の先輩の耳に入ったらしく、俺は、あくる日、呼ばれる事に成った。流石にマズイと思った。
だが、その不良の先輩の前に出た時に、先輩は怒るどころか、
俺に「お前、気合入ってんじゃー」って、、、
「あいつ調子乗ってたんだよー、その内、俺らがヤキを入れる所だったんだが、お前が、やっちまった!お前、俺らの仲間に入れ!!」と言われてから、考えもなく「はい」と言ってた。
それからは嘘の様にイジメが無くなった。又、皆の俺の見る目が変わった。こうして不良、松井広志がスタートした。
学校も殆ど行かなく成ったし、行っても昼とか学校の終りぐらいに行って、仲間とベチャクチャ喋ってた。
近所の何処何処の中学校の奴らをシメに行こうだとか原チャリ走らせて、他校と揉める時があった。
そんな先輩らも卒業して、俺の代に成ったら、名前だけが先に有名になって、他校の奴らとは逆に仲良くなっていた。
だけど、それぞれのツレの先輩同士は犬猿の仲で、ツレが先輩を連れて遊びに来たとしよう。で、俺の家に別の他校のツレが電話してくる。
で俺らは、ツレ同士は仲がいいが、うっかり、ツレの先輩も居ると言うと、これが、暴走族の方々が俺も知っているのだけど、単車で10人以上、俺の家の前で、爆音を鳴らすから近所迷惑もいいところ、、、
逆に家に遊んで居るツレやその先輩には、俺がチンコロしたと思われるし(苦笑)家の前で喧嘩は始まるし、、、こんな事は何度か在った。
後は何故か知らんが、同じ中学校の3コ上の先輩達から目をつけられていた。3コ上って言ったら直接の関わりもないし、ツレの先輩の族関係でもないし、、、とにかく、こいつらは、俺を狙ってた。
俺の同中の先輩らとは繋がっていたので、これが又、厄介だった。
学校の終りに、待ち伏せしたりして、何度か連行されてる途中に、逃げ道を探しては、シカよろしくの如く、急斜面の山を、命懸けで、一度も、転ぶことも無く逃げきる。
普通の感覚では、それは自殺行為に近い暴走忍者ハットリくんの如しの業!一番下の地面に辿り着き、降りてきた、うしろを振り向いたその時の俺の目には、、、ウソだろーここを俺が降りてきたの?走って、、、背中に冷汗。改めて、人は恐怖を覚えると、人はその恐怖から逃れるために、考えられない行動に出てしまう。
いわば、パニックで、目の前の先の恐怖をも乗り越える事が出来てしまうのだと、、、さすがに、3コ上の先輩達をビビらしたのかもしれん(笑)
ヤベー奴だから関わらん方がいいと思ってくれればいいが、、、その願いは叶わなかった、、、しかし一つも負傷しなかったことは、僥倖(ぎょうこう)としか言い表せない。
丁度この頃に母親と男は別れた。
俺が物心付く頃だから、13年以上付き合っての別れだ!
理由は全てじゃないが、この年に細木数子の占いが流行っていて、男とは相性が合わないからだと、母は言っていた(笑)
相当にこの頃の母は細木数子を崇拝していたのだろう。
俺的には、結果オーライだ!やっと邪魔な奴が消えて、やっと俺の望んでいた、家族だけの暮しだ!俺の居場所がやっと出来た喜び!
最高だったのは1年も続かず、、、又、ろくでもねー不倫相手の男と付き合い出し、中学卒業に合わせて、母と男の勝手な都合で、俺は、2つ隣りの市に男の知人の工場で働くように言われ、会社の寮として借りた1LKをツレと2人で寝起きして、仕事をしていた。
会社では初対面時は、俺の方が不良というか、不真面目と思われてたらしい。だが、意外だったらしいが俺の方が、仕事に対しての取り組み方は評価されていた反面、ツレの方は、工場の仕事への不満が顔にもろに出ていた。その顔は、まさにガキが不貞腐れている顔やし、本人はそれを隠しもしないし声に出しては、あ~かったり~だとか言っていた。
俺はツレがその内に逃げ出すかとヒヤヒヤしていたが、やはり、それが的中してしまう…俺も考え方がガキやし、知らない土地でツレも消えてしまい、、、地元のツレらとの繋がりの薄い土地では、淋しさに負けてしまい俺も逃げてしまった。
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