連載【癌で死ぬか死刑が先か・5】タンクローリーに轢かれて
※ お読みになる方へ : 事件の詳細が書かれており、不快な思いをされる場合がございます。ご注意ください。
夜の水商売も1年近くなり、慣れ始めて来て同業のホストとか夜の街の住人とは仕事上付き合いが出来て、お互いのお店に行き合う関係になり…
その日も同業のツレが店のお客を連れてきたので、俺も自分のお客を連れて、同業の店に行く所だった。
その当時俺は24歳で、時間はもう朝の6時30頃だったと思う。
流石に酔ってはいたが、これくらいで音をあげる様(ザマ)では、この業界は務まらない。
同業の店が女子大の方に在るので、俺が働いてる店から片道三車線の道路を女子大の方に皆で向かうが、俺達ホストはお客の前ではカッコ付けるし、道路を渡るにも酔いも手伝って、走っている車を止めて堂々と歩く。
クラクションなんて鳴らされた日には、こちらから因縁をつける。
言わば迷惑者でしかないので、どうしようもない。
で、俺は、片道三車線を渡り、左から来ていたタンクローリーに気付いたが…タンクローリーの風圧に巻き込まれてしまい、
ヤバいっ!と、タンクローリーの横に手をついてしまった。
その時に俺は「あっ、もう終わった」と思った。
記憶は飛んだ…だが、タンクローリーのタイヤが足首の上に乗っていて、余りの激痛で目が覚めた。
人は記憶が飛んでも、それ以上の痛みを加えると、体は弱っていても、目が覚めるのか…
近くに居た同僚に蚊が鳴く声で、「タイヤをどけてくれ…」っと頼み、運転手にタンクローリーを動かしてもらい、やっとタイヤが足から離れると、
…気付けば手術も終わりベッドの上だった。
これが、後に成ってよくよく考えれば、命を救ってくれた方々には誠に申し訳ないのだが、、、その時に、死んでいたら、どれだけ楽だったかって思う。
意識も飛んで痛みもなく死ねた訳やしね。。。
その後の人生の苦しみを思うと、やはり、死んでいた方が世の為、人の為、己の為だった様に気付かされた。
交通事故からの人生はどちらかと言えば、苦しくて、ツラい事の連続で、何度、自殺未遂したか、、、どれも失敗に終わるが、死ぬ根性もねー俺が情けなかった。
入院中は、ものすごく、俺は凹でたし、生きてく希望もなかったので、死人のようだったと思う。
右足首は複雑骨折するし、右足のタンクローリーに引きずられた肉を戻して縫ったのだが、、、
その足は余りにも自分で見るのも、嫌に成るほどのキズと何針縫っているかさえ、数えきれないぐらいの縫い傷だった、、、
不思議と人は1ヶ月も足を動かさないと、足先の指でさえピクリとも動かないし、どうやって、足に神経を送ればいいのかさえ出来ない時期が続き…
どんどん俺は落ち込んでいくし、、、そんな時期に、足が腐らない様に抗生物質の点滴をしてたんやけど、右足の肉が腐ってきた。
要はこれを壊死と言うらしい。
入院した病院からは、さじも投げられてしまい、他の病院に行っても、医者はこともなげに、壊死した肉を鋏で切り落して、「これは切断しかないですねー」、、、と
、、、とに角、痛みがハンパないし、モルヒネを打ってもらっても、1時~2時間も痛みはとれないし、モルヒネを打ってくれと頼んでも、これは麻薬と一緒なので、何度も打てませんの一言。
「俺はそんなの関係ねんだよー」って苛々して看護師に暴言を浴びせた。
そんな中、他の病院の2つ程の整形外科から、皮膚移植すれば、切断しなくて大丈夫だとの事!!
又、その皮膚移植の手術後が大変だったのやけど、そこの病院で知り合った患者数名と仲良くなり、もちろん、その人達も患者なので、交通事故で入院している人も居れば、仕事で指を切断した人や…
色々とその人その人によって、悩みがあるんだろうけど、そんな人達と仲良くなってく内に、悩みを抱えているのは俺だけじゃないんだなぁーって、
ちょとずつだけど、笑顔を取り戻して来たって感じだった。
そんな入院生活の中で、女性の方が、火傷だかで、体の6~7割を皮膚移植するとの話を耳にした。
何歳の方かも顔も知らないけど、俺の右足の皮膚移植でさえ、大変なのに、、、その体の6~7割って想像しただけで、胸が苦しくなった。
本音で、可哀相やなぁーって思ったし、ましてや女性!!
この先の人生を考えたら、きっと、辛いだろうなぁーって、、、
ここは病院だし、色々な患者が居てもおかしくない訳だけど、不謹慎やけど、俺はまだ、いい方やなぁーって思えてしまう。
リハビリも大変で痛みもハンパないんだけど、足を下に下げるだけでも相当に痛い訳だけど、俺は周りの患者を見てきてるし、リハビリの人の中でも、ベットに固定(いやマットか?)されて、電動で直角まで、持ち上がるのだけど、そうすると血が下に下がるんやけど、女性のおばさんは、リハビリ室中に響く声で、喚く、、、
本人からしたら、相当、体を直角に立たせるだけ、足は地面にも付いてないのに、それだけでも苦痛なリハビリなんだろうなぁー本人は泣いて、「もう戻してーっ」て大声で言ってるのだけど、、、リハビリ師は心を鬼にして、ある程度の時間が経たないと元に戻してくれない。
俺も負けない!!と希望を持ってリハビリに挑んでた或る日、リハビリ師の女性から、一言、「もうこれ以上は治らんねー」と言われてしまい、、、その言葉の意味する事が余りにも俺には耐えられず、全重力が体中に載しかかり、俺から希望を奪われてしまい、、、涙が止まらなかった、、、
リハビリ室の前の通路の椅子に座って、人目も憚らず泣いていた俺。
逆恨みだけど、正直、心の中で、俺に一言を言ったリハビリ師の女性に対して、憎んだ!!
俺から希望を取り上げたから!何の為の辛いリハビリをしてきたんだろうと、、、俺はしばらく、リハビリにも行かなくなった。
それに病院も退院をしたかった。
結局…俺の足は膝から足の指まで、全て皮膚移植をした。
右足の踵は床に着かない。8年前に名古屋名大で、踵が着くように手術したけど結局はうまく着かないので、装具でカバーしてたが、刑務所の中ではスリッパなので、長い距離は歩けない。足も痛くなるしね…途中で疲れちゃって(苦笑
前までは足は大分曲がっていたけど、今は手術のお陰で曲がってはいない。
そこら辺を少し歩くぐらいなら、足が悪い人とは思わないんじゃないかな?
障害者手帳は2種の4級をもらった。
病院から退院したその時期は正月前に近くて、病院には居たくない思いだったのもある。
退院の手続きをして、母親と母親の男と俺の種違いの17才年下の弟が住んで居る所で居候生活が始まった。
最初の頃はまだよかった。母親の男も、俺に気をつかってくれたし、それが、段々と男の態度がおかしくなってきた。
直接的に俺に文句を言うのではないが、母親を回して、男がグチグチ言っている話を聞く、、、
そうすると俺も、居候の身として、肩身が狭いし、食事しても、飯(米)の一ぱいのおかわりさえ、気にしなきゃならず、おかわりしたくても、しずらいと言う本当に惨めな生活で、、、
俺って、今まで、気楽に実家って言える家が無かった事に気付く、、、いつも居場所がない。
在っても、そこは、本当の心休める居場所とは遠く掛け離れていた。
足も今、退院したばかりで不自由やし、かと言って、行く場所もない。
本当に情けない。病院代だって中々くれないし、くれたらくれたで、あーだ、こーだと言われるし、、、
甘えかもしれんがタバコ銭の小遣いだって、本当はほしいぐらいだ…
外に出てリハビリしても、人の目が気になるし、、、
病院の中では、気にならなかったのに、、、
少年の頃からず~っと、カッコ付けてたから余計に、今の自分を見て、恥ずかしく思えるんだと思う。
人が周りに居なくなると歩く。
人が近付いてくると立ち止まる。
本当に自分が情けなく思うし、嫌になる。
唯一、座ってる時だけが、周りから、普通の目で見られる。
歩くと、目をひく、、、それが本当に嫌で嫌で、たまらなかった。
小学校の頃に、そう言えば友達と、変な歩き方をしている人の物真似して、その人の事を笑っていたのを思い出す。。。
だから余計に立場が入れ代わると、周りから、そう思われるんだと周りの目が怖かったんだと思う。
人は自分も同じ立場や境遇に成ってこそ、その痛みが分かるんだと思う。
俺は何の為にこの世に生れてきたのか?
答えの出ない自問自答を繰り返し、生きてるのが、億劫にさえ成ってる自分が居る、、、
家に帰っても、俺の本当の家でもないし、実家とも言えない。
母親の男が住んでいる家で、俺の居場所も無く、肩身が狭いし、溜め息ばかりの連続で身心供に悪化して行くのが分かる。
こんな所に居たくない!!
行く当ても無い、、、でも、ここには居たくない!!
とにかく、ここから逃げよう!!
それが俺の得意技やし、そう思ったら、逃げ出していた。
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