消えた年賀状とエムズカレーの思い出。
ふと、15年以上前に中毒のように通っていた笹塚エムズカレーのことを思い出した。家中を探したが、亡くなったマスターから2年分だけもらった年賀状が見つからない。ここ数年、我が子が産まれて飾るべき家族写真が増えて妻が写真を入れ替えるために写真立てから出した後が行方不明だ。
「エムズのMて何なの?」と我が子に聞かれた。子供の質問はいつだってシンプルで単刀直入だ。そういえばエムズの Mは謎のままである。
その年賀状だが、2通のうち1通はエムズカレーのマスターと割腹の良いイギリス人(個人の主観です)が滝の前で裸で下半身を隠す布切れ一枚で立っていて、homo was not one dayと書いてあるものだった。もう1通は雲の上から手を伸ばす店主(これまた上裸)と雲の下から手を伸ばす割腹の良いイギリス人(やっぱり上裸)の写真だった。当時、あまりのクオリティの高いデザインに「あ、店長はゲイの方だったんだ。エムズのMはメンズのMかな」なんて思い込んでた。マスターと目を合わせるのにドキドキしたものだ。
ある日、マスターが倒れて急死した。亡くなってから奥さんと子供がいて、まさかの「レシピがない」という噂を聞いた。奥さんと子供?あのイギリス人誰?謎が謎を呼んだ。マスターにしてやられたと思った。不謹慎だが、泣きながら笑ってしまった。Twitterで続々と追悼コメントが出て、その中に大学時代にUKロックなどのコピーバンドをやっていた軽音サークルの同期だったMくん(ややこしいがこれまたMである)がいた。だいぶ常連だったらしく、再会して当時作っていたZINEの誌上で対談をやった。話を聞けばマスターが急死した日の夜、最後に仕込んだカレーを常連さんで食べたらしい。軽く嫉妬した。Mくんは大学時代にレディオヘッドのコピーバンドがまじでカッコよくて、当時好きだった女の子もMくんが好きで、何となく音楽から逃げて映画の道に行ったような気もするし、ずっとかなわない人だ。そんなMくんと大学卒業後10年?1度も会わない間、同じカレーを食べていたなんて。人生は不思議だ。そして食べ物は記憶にしか残らない。映画でも音楽でも匂いや味は残せない、なんて、そんな話をした。
店は10席ほどのカウンターで、無愛想でちょっと怖そうなマスターが黙々とカレーを作っていた。それこそ消えものの伝統工芸品を1つ1つ手際よく作り上げていく職人みたいな雰囲気だった。先にサラダが出る。カレーの前に、べらぼうに美味しいドレッシングに舌舐めずりをするのだ。このドレッシングがドロドロでなかなか瓶から出てこない。必死に瓶を振って焦っているのが新規のお客で、手首にスナップを聞かせて空中で止めてボッボッと上手にドレッシングを出しているのが常連客。お客さんに一瞥もくれていないようで、ドレッシングに苦戦しているお客さんに無言で手を差し伸べてサラダにかけてくれていた。春になるとサラダにイチゴが入って、季節の変わり目を知った。ご飯のお皿をひっくり返してしまったお客さんにも無言で新しいご飯を差し出しさささと片付け、何事もなかったかのように作業に戻っていたのを覚えている。一時期、暫く休んでいた時期があった。ツーリング中のバイク事故で大怪我をしたらしい。そういえば毎日、お店の前にでっかいバイクが置いてあった。他にも店には地下室があったという噂も聞いたりした。
カレーの種類も、超濃厚で食後に匂いが取れないほどのスパイシーな香り漂うビーフカレーと甘口限定のシャバシャバした野菜カレー、辛口限定のチキンカレー、のみ。僕は野菜とチキンのシャバシャバ系ににハマった。先述のドレッシングと付け合わせのコールスローを混ぜながら食べるのが好きだった。時折、アレンジされた「幻のカレー」というメニューも出る日があって辛口の野菜カレーとか、実験していたのだろうか。遭遇すると嬉しかったけど、やはりデフォルトメニューが最強だったように思う。
完全に中毒になり、週に2、3回ほど熱心に並んで通い詰めていたらある日から話しかけられるようになった。多くは語らないが、「映画の仕事って儲かるの?」「男は40歳まで髪は切らない方がいい。」など、短くて印象的な至言だった。クリスマスイブとクリスマスは半額提供。ツイートしてよ、と笑顔で言われた。忘れ物をして取りに行ったこともあった。何だか無理に踏み入って来ず、こちらも踏み入らず(そもそも、こちらから問いかける隙はなかった気がする)、一言二言のやり取りで徐々に心が通っていく、楽しい日々だった。何よりカレーが圧倒的に美味しかった。
あの頃はまだ漠然としてたのだが、マスターとはいつか「カレーと映画は似てると思うんです」って話をしたかったなと思う。ある種達観したマスターに惹かれていたのはそのクリエイテビティというか芸術性というか、そういう部分だったのではないだろうか。胃袋に消えてしまう1回性の芸術作品。それは映画の仕事をしながら確信に変わっていった。(その後、浅草で4人の映画監督がカレーを持ち寄るイベントをやった事があるのだが、想像以上にそれぞれの作家性や性格がカレーに出て面白かった。もはや自論でも何でもなく、「映画作り」は「カレー作り」に似ていると思う。)
そんなある日、エムズカレーが懐かしくなり色々検索してみたら、テレビ番組で取り上げられて名人シェフ達が研究してレシピを復活させたのだそうだ。カレーに興味がなかったであろうな奥さんが泣いたのだそう。奇跡みたいな話にまたちょっと嬉しくなった。でも不思議とそれを食べたいとは思わなかった。
時々、現存するカレー屋や、外食時にたまたま出会ったコールスローにハッとする瞬間がある。当時のファンもみんなそうなのだろうか。何というか、自分は誰かの手で復活したレプリカのエムズカレーよりもその感覚を大事にしたいと思っている。
やっぱり人生は不思議で一筋縄ではいかないし、曖昧で脆い。
その後もなぜか年賀状は見つかっていない。滝の前に悠然と立ってこっちを見ている布切れ1枚のマスターと謎のイギリス人?を思い出しながら朧げなカレーの味と同じように、話し相手に必死に拙い言葉で伝えている。そのもどかしくも可笑しみの滲む時間が、何だかマスターに試されている気がして、ちょっと楽しんでいる自分がいるのであった。