見当たらない 見当たらない 精神依存先だった飲酒も 異性も、他者も 意識が、脳が、欲していない 気晴らしとはなんなのか 晴れとはなんなのか これまでよりもっと深い部分で停滞している 過去の選択 どの道を選択しようが、必ず今の状況に落ちていたんだろうけども 今は静かに全てを投げ出したい感情に襲われている 日々自身の今の現状に至るプロセスにオチをつけて 言い聞かせ 言い聞かせ その場を凌いできたが 本日の"精神状況"言わば"脳の状態"はキャパオーバー
何を宣っても生きる他ない 過去、支えてくれた他者、その他全て 精神が薄弱していたとはいえ、自分自身の責任で失ったんだ。 希望などないのだから、無になれ こんなところまで来て投げ出す訳にはいかない。 "生きる"という責任、義務を全うしてくれ。 生きてくれ。自分。 生きていたい意欲をくれ。 祈りなど無駄でも、祈ってしまう。 自分を受け入れる余白が欲しい。
なにもない朝。 書くことといえば日々似たり寄ったりで 自身の日々の葛藤を記すだけ 他者と触れ合う機会を失うと自我を失うというか 生きていく上での正誤がわからなくなる。 話し相手は自分自身の思考。 断ったつもりの飲酒も結局断てず。 しかし、酩酊する目的で飲む事は無くなった。 わずかながらの進歩か。 孤独に陥り、尚且つマイナスの要素に塗れていると 「もう抜け出せない」「何故自分ばかりが」と何も産まぬズブズブな思考になりがちだが、 自身より苦しい立場にあって、
やはりまだ刹那的に生きる事を夢見ている自分がいる 終わりはすぐ来ると夢をみている。 目的を完遂すれば自分という存在は華散らすように消える事ができると意識の奥で思い続けている 終われないんだ。死ねないんだよ 先はまだまだあるんだよ。 全てを受容してくれ。自分。 夢の中に生きるのはもう辞めにしてくれ。
"自分にできないことはない" と明確な目標設定もせず、知識を得ることもせず のらりくらりと生きて来た。まさか窮地に陥る事になるとは知らずに。 既成の言葉に当てはめるならば"幼児的万能感"とでも言おうか。 特撮のヒーローに憧れ、"其れらに自分はなれるんだ"というようなお花畑思考。 形は違えどそれを保ったまま大人になった。 人の皮を被って、生存本能と目先の欲望を満たすためだけに生きて来た。 苦境にあるものは多数いて、同情し合うことはできるが、そこから先にはお互いに進
そもそもグズついた天気が嫌いな人間ではあったが、現在の状況に至ってからは曇り、そして夜を好むようになった 酒を断ち生活していたが、昨夜はつい飲んでしまった。現状に似合わぬお高いIPAを酒屋で購入し、乾いた喉に一気に流し込んだ 通常のビールとは異なる強い苦味とフルーティな香りに束の間の幸せを感じるも、すぐに枯れてしまう感情である。そして本来の自分は下戸なんだと再認識した。 生活に見合わない浪費を始める時は要注意だ。精神的な部分でヤケを起こしている。 なにも変わらない。何
変わらず鬱屈した日々が続くが 以前のような希死念慮は無くなった 諦めなのか慣れなのか。 ただただ今は、一日の流れがひたすらに長い。 人間苦しみに苛まれてる際の時間の経過はひたすらに長い。 楽しみとまでは言えないが今現在自身の思いを吐き出す場所はここだけ。 以前面接した就労に関わる吉報をひたすらに待つだけである。 欲しいもの、欲しい状況、それはなんなのか 金銭というものに無頓着に生きて来たが、結局は金がなければ何もできない事を理解した。 現状を打破できるほどの
これまでの家庭環境や現在置かれている立場は個人各々、一つとして同じものはないし、"人生"というものを"素晴らしいもの"と解釈するのも個人各々が決めるものだ。 何一つとして否定するつもりもないし、 人生の答えを決めるのはその人自身。 人は"模範"を定めてそれに従っていく習性があるとは思うが、其れらが人間の社会を生き抜いていく上で最も合理的なのかもしれない。 何にも従わず、答えも定めず、流浪し、道化を演じて享楽的に生きた人間の末路が今の私。 だがこれまでは退屈な人生ではな
自己肯定感 それらが非常に薄かった自分自身 育った環境の所為にする事は簡単だが 生きているからには自身の力でどうにか生きていく他ない。誕生した事は自己責任。 人間の特性として"無いものねだり" があるが 手に入れた途端に興味などなくなるものだ 不遇、不幸に喘ぐ中で今は手に入れられない"モノ"を手に入れれば目先の幸福は得られるが それらはタダの霞である。 生きてる事が幸せかと問われれば 即否定する。 生きることそのものが地獄である。 第三者に自身の存在を深
いくら空が青くても心は灰にまみれている。 障害者年金なるものの受給の審査に必要な書類を作成するため病院へ 何を食おうが、気分で酒を煽ろうが、希望が見えない。 何事も他者との共有がない限り、何の喜びも感じない。 地に足が着かない。 なんのために存在しているのか。 "親族の為"に生きていると述べたが 時間が進むにつれて度々霞んでしまう。 "生きなければいけないんだ。"と言い聞かせながら、私は今日という時間を不意義に食い潰す。 近頃は他者への妬み嫉みも無くなり、容
何故に家庭を持ち営んで行く事がゴールなのか理解もできず、ただただ時間を浪費し、ただただ何かを期待して生きていた。 享楽的に酒を煽り同じ立場にあるような人間と肩を並べクダを巻いて"実直に生きれば何かが変わる"と根拠のない希望を語りながら時間を食い荒らした 自分は無能であり、何もない人間である事を誤魔化すために日常から逃げて道化を演じていただけであり、紆余曲折を経て 自身を創り上げた親族に対して感謝を捧げながら、その者達が描く"幸せ"を満たすために"世"がいう"当たり前"の
ここまで全てを失うと、自身のこれまでの人生を他人事のように俯瞰できる。 その中で理解したのは 自分はあたかも"自由"に生きてるかのようで"他者"の意思を生きる傀儡のような存在だった事。 "酒"と言う名の合法ドラッグに溺れその場の衝動にまかせて生きているだけだった。 金銭というものからは逃げられないのにも関わらず、苦労して何かを積み上げて生きることに1ミリも興味を持たずに、ただただ享楽的に生きてきた。 見えない何かに期待しながら。 結果として障害者となり、自身が健常
2019 交通事故で生死の境を彷徨うも一命を取り留める 一生治らない障害(腕神経叢引き抜き損傷)を負うと共に、自身の状況を受容できず、精神の状態も不安定に。 結果として友人、知人、親族、財産、全てを失い、30余年積み上げたものは塵と消え 片道切符で来た、縁もゆかりもない土地で生活保護生活を送る日々。 健常者時代のプライドをかなぐり捨て、再生に挑む"ザ・社会的弱者" なにかに期待していた なにかが起こるはずと思ってた なんにもないんだよ。なにも。 だが死ねないか