PARCO PRODUCE 「音楽劇 海王星」が良かった話
実は昔、役者を志していたことがある。芸能事務所に所属し、都内某劇場でバイトしてそこで稼いだ小銭をまた劇場に還元する学生生活を送っていた。当時は学生割引もあったので月に4〜6本くらい芝居を見ていた。
そのうちふんわり役者の夢は潰えて、社会人になり芝居を見る頻度はゆるやかに減って年に数本になった。
のだが、最近また急に芝居が見たくなってきた。しばらく離れていたから情報感度も落ちまくっていて、なかなかチケットが取れなかったりしたが、今年は6本くらい見ることができた。その中には良いものもあればフラストレーションを覚えるものもあり……。
そして今年最後の観劇となったのが現在新生PARCO劇場で上演中の「音楽劇 海王星」。正直あまり期待しないで見に行ったのだが、これが良かった。良かったし、この「良かった」の中に色々と考えることがあったのでせっかくなのでまとめておこうと思う。
配信もあるみたいなのでみなさんも良かったら見てください(先に宣伝しておく)。
「音楽劇 海王星」概要
寺山修司の未発表の音楽劇を新作曲で初上演という企画。
見に行こうと思った要素は寺山、志磨遼平、ユースケ・サンタマリア。
ご存知の方もおられるかもしれないが、わたしは志磨遼平を推して10年、普段はあまりミーハー的な動機で芝居を見に行きたくないが、「毛皮のマリーズ」を名乗った男が寺山作品の作曲を手掛けるのはさすがに見届けねばならない、みたいな気持ちが湧いてチケットを取った。それに寺山作品は多くは見ていないが興味はあるし、ユースケ・サンタマリアの舞台の芝居は抜群に良い(「その族の名は家族」の母役を全人類に見てほしい)。
だけど、演出や他の出演者についてはほとんど未知数で、とくに知らない演出家によるこういうプロデュース公演にいろいろとトラウマがあるので、「まあそんなに面白くない可能性を十分に想定しておこう」と予防線を張っていた。
(あと正直ティーザーがあんまり面白そうじゃなかった……)
結論から言うとこれは杞憂だった。全然良かった。始まった瞬間に「あ、これいいやつじゃん」と思ったし、エモーションを刺激されてちょっと涙ぐんだし、何年ぶりかにすなおにカーテンコールできた。
良かったところをざっくり
これらのことをネタバレなしでざっくり簡単に書くので、それで興味を持ってくれたらぜひ冒頭のライブ配信を見てほしい。他の人の感想が摂取したいんじゃ。
……といっても各項目500〜1,000字くらいで結構なボリュームになってしまったので、上の目次から興味のあるところに飛んでください。ではどうぞ!
音楽のこと
話しやすいようにツイートとは順番を変えるが、まずは音楽の話をする。
話が逸れるが、ちょっと前に別の音楽劇を見て、それがあまり良くなかった。音がでかすぎ、歌詞が聞き取れない、話との噛み合いが悪い、バンドメンバー(役者ではない)が大事なセリフを言うけどやっぱり聞き取れない、とかなりのストレスだった。
その時「わたしは今このバンドにすごい悪印象を持ったけど、音楽畑が演劇に携わると言う意味では海王星も同じ……決して贔屓目で見ずに作品主体で厳しく見よう……」と謎の決心をした。
そして「海王星」が始まった。降りたままの緞帳の向こうで演奏が始まり、老女(中尾ミエ)がブルースを歌い出す。
「……勝ち確定じゃん」
と思った。ちゃんと「寺山の世界」だと、少なくともわたしは思った。これまで見た寺山の映像作品とか、J・A・シーザーの楽曲のイメージとか、そういうものとの極端なイメージのズレがなかった。かといってチープなコピー品という印象もなかった。あれはとても適切だった。
さすが寺山の顔写真にお伺いを立てながら作曲しただけあるな。
全体的には80〜90年代シティポップふう?(音楽に疎いのでジャンルがわからない)のテイストが多かったように思う。(追記・あとから思うと歌謡曲ふうと言った方が適切か? 寺山によって書かれた時代よりは後年、現代から見ると古臭さから懐かしさに移行するくらいの時代感があった。過去から見た未来感とでも言おうか)
メロディラインはあまりゴリゴリに作り込まず、リプライズされたときにすぐにわかるように作られていると感じた。
特筆すべきは歌詞の聞き取りやすさ! 毛皮のマリーズ時代あんなに聞き取れない歌ばかり歌っていた志磨遼平が!
「音楽劇」と銘打たれたものって「ミュージカル」ではなくて、音楽に対してあまりプロフェッショナルに取り組まれていないと思うことがこれまで多かったのだが、海王星については「ミュージカル」と言ってもいいくらい音楽のクオリティが高い。音楽の多幸感があった。
真ん中の俳優(山田裕貴、松雪泰子、ユースケ・サンタマリア)はミュージカル俳優ではないが、脇にちゃんと歌える俳優を配置したことでとくにコーラス曲の締まること! ティーザーで流れていた「酔いどれ船」という曲、しまくんのリードボーカルが消えたらグズグズになりそう……と思っていたが、実際はめちゃくちゃ迫力があって歌詞も聞き取れる。
バンドも全然嫌な自己主張をしてこない。演劇の枠に上品に収まっていてそれもまた適切。
また、演出と音楽の絡み合いがすごかった。イントロがそのまま効果音として機能する、メロディとは別に演出として演奏がばっちり働いていた。これ、今回新作曲でやったわけだけど、こういう部分って作曲家だけでできるのかな、演出家が作曲の時点からかなりガッツリはいってるんじゃないかな。「ミュージカルっていきなり歌い出すから嫌い」とタモリも言っているが、これって「曲」がストーリーや演出と独立している違和感も大いにある気がする。演出としての音がそのまま歌になる、というのが、わたしにはかなり新鮮な体験ですごく良かった。
演出のこと
演出の眞鍋卓嗣は俳優座の演出家らしく、寡聞にして存じ上げなかったのだが、大変素晴らしい仕事だった。演出家の仕事というものを今年一番強く感じたかもしれない。
演出家の仕事が意識されるのは、奇抜・独特な演出ではなく、わかりやすい・端正な演出であると知った。
パンフレットにも書かれているが、世間で想像される「寺山的」≒アングラ的奇抜さというものを志向していない。実にベーシック、理解するのになんのノイズもない、そういう演出だった。
これってすごく尊いことだと思う。
これまで多くはないけど芝居を見てきて、演出がノイズだなと思うことはそれなりにあった。見立てを多用しすぎて理解まで一拍ズレるとか、まんま「奇抜さ」を出そうとしてお話の本質がどっかいっちゃうとか。
それが演出家の自己顕示なのかなんなのかわからないけど、ストイックに戯曲に描かれていることを適切に伝える、というのはなかなかできないことなのだと思う。
説明的でなく、体感的な理解をサポートしつつ、ちゃんとエモーションも表す演出。これ、言葉で説明するのすごく難しいですね。
特に意識しなければ、「どんな演出がなされていたか」なんて全く気にならず、すなおに作品に没入していけるようになっていたと思う。
「ああ、お芝居を見たな」という満足感がすごく高かった。こんな満足感はひさびさに得た。
戯曲のこと
戯曲の筋自体は、あらすじでもわかるようにいわゆるオイディプスものの変奏というか、父と息子が一人の女をめぐるもの。父親の婚約者を息子が奪う話なので、本当にざっくり言ってしまえば不倫モノだ。
ツイートで「その題材でそれやる!?」と書いたのは、不倫モノで「真実とは? 本当とは? それは人から押し付けられたものではないのか?」みたいな問いかけをやる!? という意味。
客観的に見たら主役の猛夫と魔子の言っていることって、昔の2ちゃんでいうプリン脳って感じでだいぶラリってるんだけど、そのラリの中に真実があるかもしれない、というアプローチ、あまりにリスキーでないですか? そのバランスが奇妙で、もう一つ説得力まで行ききっていないので未公開だったのかな、と思ったりもした。
ストーリーや題材自体にはこのような粗さもあるが、一方で登場人物たちのピュアネスとでも呼ぼうか、やさしさとはまた違うが邪悪さのない真っ直ぐさ、それこそ己の真実に向かう力みたいなものはそれぞれとても強く、その点につよく心を揺さぶられた。
普段、創作物に触れるとき、わたしは結構ストレスを受けているんだと思う。時折ツイートするが、わたしは「悪意」がわからない。あと相手の気持ちを勝手に想像して勝手に傷つくみたいなやつもわからない。どちらも純度の低い、濁った心の行いに見える。こういう心の動きを登場人物にさせるとお話を転がすのは容易になるが、正直わたしは好きじゃないしイライラしてしまう。
「海王星」のために造形された人物たちはそうではなかった。他害はする。だがそこに心の濁りがない。ネタバレなしでここを書くのが難しいが、それぞれの人物が自分の信じたいものを信じ、自分のしたいことを貫いている、といえばいいのだろうか。悪事を起こす人物でも、その動機はあまりにまっすぐでいっそ潔い。
そういう人物たちが、生き生きと歌い回るさまを見られるだけで、とてもうれしい。
そしてきっとこれは、寺山修司自身のピュアネスによるものなのだろうなと、勝手にシンパシーを抱いた。
俳優のこと
先述の通り、俳優ではユースケ・サンタマリア目当てで行ったのだが、幕が開いたらそんなこと忘れていた。歌とダンスのクオリティが一定以上だったので一気に引き込まれたし、他の俳優の演技・歌もそれぞれに見どころがあった。
特に印象に残っている点をいくつか挙げると、まず主演の山田裕貴。彼の芝居は見たことがなかったが、線の細いあやうげな青年を不足なく演じていた。ぐいぐいと前に来るのではなく、作品の一部として馴染んでいるのが好印象。歌は中低音が安定しており魅力があった。
ユースケ・サンタマリアは言わずもがな。登場するとぐっと場の雰囲気が変わる。力の抜けた存在感がやや力んでいる印象の山田・松雪を中和する。歌は若干不安定な部分はあるものの、それを生かしたようなフォーク調の曲がハマっていて心地よい。声を荒らげるシーンもあるが、そこでも抜け感がうまく機能して、観客に恐怖よりかなしみをつよく見せる。ほんとうまいんだよなあ……役が自然にそこにいる役者ってすごく貴重だ。
場をかき回す女学生・そばかす役の清水くるみは、歌の歌詞が聞き取れないのは残念だったが台詞回しはキュートでうまい。
猛夫を想う那美役の伊原六花は反対に歌声が魅力だ。那美というキャラクター自体がかなり特異(このキャラクターをこうフィーチャーするのが特異だと感じた)でわたしは彼女を特別に思わざるを得ないという感じなのだが、ソロ曲ではそれを差し置いても惹きつけられる。
そしてアンサンブル的な役割の女学生たち。彼女らの中にミュージカル出身者やバレエ経験者がいるのがこの公演においてとても大きな意味があっただろう。公演全体の質を二段階も三段階も上げている。
みんなも見よう、海王星
そんなわけで、本当にひさびさに「作りの良い、よくできたお芝居を見たな〜!」という満足感を得て、ほくほくで家路についたのだった。
パンフレットにも記載があったが、本作品は初めて演劇を見る人にも入りやすく作られている。
これは個人的に思っていることなのだが、演劇、まじで入り口がめちゃくちゃ大事。映画とかに比べて安くはないので、一発目に面白くないものに当たるととても悲しいことになる。でもその作品が面白いかそうじゃないか、判断する材料がすごく少ない。
この文章がその判断材料に少しでもなれればと思う。もし興味を持ってくれたら、ぜひ見てみてほしい。
冒頭にも載せたが配信があるので、この規模の芝居にしてはかなり気楽に見られると思う。生には劣ると思うけど、2,800円なのでぜひ。
で、劇場のチケットもまだ取れるので、行ける方はぜひ行ってみてください。
※パルコからお金はもらっていません。
ここからネタバレ
結構上でたっぷり書いてしまったけど、ここからはネタバレありで書きたいことを書くぞ〜。見てない人は読まなくていいからね。上で配信のチケットを買ってくれ。
まずしまくん周りのことを書く。
酔いどれ船でバンドに照明が当たるんだけど、全員めちゃくちゃおとなしくしてて笑っちゃった。いや、ちゃんと「ジャーン!」ってギター弾いてるんだけどさ、ライブのときと比べるともうおとなしいのよ。でもそれはすごく好ましいなと思いました。前述の別の芝居のバンドがめちゃくちゃしゃしゃっててすごく嫌だったので、舞台上で必要な領分をわきまえて振る舞えるバンド、尊いな〜と思った。演奏もね、良かったです。本当に歌の邪魔にならない。イントロは効果音的に機能するための不協和音とかはあるけど、それも統率が取れているので。プロフェッショナルでしたよ。
んで、しまくんは「神」の役割を任されているらしく(パンフ参照)、一幕後半で急に照明が当たって立ち上がって指揮するところがあるんだけど、ああいうシーンはわたし客観的に見られないので、他の人の意見を聞きたい……うちの推し、悪目立ちしてませんでしたか!? って。セリフもないし、立ち姿はいいし、動きは綺麗な人だと思うので大丈夫だとは思うんだけど。演出的に、バンドマンに過剰な役割は背負わせていないと思ったのでたぶん大丈夫……たぶん……。やっぱりこう、素人的な部分が出ちゃうと全体が台無しになるじゃないですか。そういうことになっていないことを祈る。
内容的に話したいのが、那美のこと。
那美、前半だと完全に存在感なくて噛ませ犬で、普通だったら本当に噛ませ犬で終わる、猛夫と魔子の引き立て役で終わるキャラクターだと思う。実際に噛ませ犬であることには間違いないんだけど、それでも那美の人格の描き方に、寺山のそのやさしさとは違う真っ直ぐさみたいな、澄んだものを見た。
二幕冒頭、劇中のレイヤーを抜け出して「ブルースを歌う老女」と同じところに立って「神」の話をする那美。「あたしは神さまに話しかけない、ふりむかない」って歌詞は主役級ですよ。あまりにも芯が通ってるでしょ。
そして本編最後のセリフは魔子じゃなくて那美のセリフ。これめちゃくちゃでかい。普通、あのシーンでは那美はいないことにされるくらいでもおかしくない。でも寺山はそうしない。
このテーマ(不倫でも真実の愛みたいな)(厳密には不倫じゃなくて親子の近親相姦的なニュアンスだと思うけど、魔子と猛夫はあまりにプリン脳な造形なんだよな)にしてしまった以上、那美が報われる結末はありえない、そこに限界があってこういう結末になるのも未発表の所以じゃないかと思ったけど、その中でも、座りが悪くなっても那美をそこに強く出し続けるっていうの、すごいよ寺山、ありがとうってなった。
欲を言えば那美には薬を盛らないでほしかった(他全員にも盛るとかはあり)(そもそも彌平の頼みを断ってほしかったけどまあ展開上しょうがない)んだけど、その毒薬について「美しすぎても嫌」っていう歌詞は5億点なんよ……わかる、嫌だよな、嫌だよ、自分の男を奪った女を殺すための薬が美しすぎたらすごい嫌だよ。そんな感情今まで持ったことないけどそう確信するよ。
この曲めっちゃ好きだけどやや歌詞が聞き取りにくかったのが残念。
ただ、那美が猛夫に片思いをしていたのか、それとも付き合っていたのかがわからないのも結構煮え切らないところで、彌平がああ言ってるから付き合ってるだろうと思いつつ、猛夫が全く無関心なのでわからないんだよね。付き合ってないんだったら一転めちゃくちゃ怖い女になるわけだけど。ここに那美の正当性を求めてしまうのは、話のメインテーマとズレてしまうのかな。
彌平もなー闇落ちしちゃうからな。やっぱりここにこの前提の限界を感じる。あるいは猛夫・魔子の説得力の弱さのせいかもしれないが。お話自体はかなりシステマチックに進むというか、展開のためになるべくしてなってる感じはあり、まあそれが神の意思ということなのかもしれないけれど。
彌平と那美の会話のどこかで、彌平がこれまた、普通ならこうだろうと想定されるリアクションをしないところがあって、「寺山〜!」ってなったんだよな。配信で確認しよう。
魔子=松雪泰子についてはもうひとつ……歌が結構不安定なのよね。演技もまあ……。魔子ってもっと若い想定の役なのか、彌平と同じくらいの想定(猛夫と離れてる)なのかよくわからなかった。わかる必要はないのかもしれないけど、そこが曖昧なところだけちょっとノイズではあったんだよな。那美とは対照的に、まったく芯を感じないので、なんか良いこと言っても「2ちゃんの修羅場まとめでみるプリンのラリのやつだ!」っていう感じがめちゃくちゃする。その「真実」みたいなやつ、魔子がこうだとあんまり見えてこないのでは……という気持ちは結構あった。
まあストーリーそのものより、寺山の言葉による歌、切り取ったセリフ、全体の心地よいスムーズさとかがわたしは気持ちよくて、音楽が良くて何度も涙ぐんだし満足してるけど、仮にストーリーが主題だとしたら魔子がかなり足を引っ張っている印象はある。
猛夫=山田裕貴は、一生懸命さは見えたけど、若いしキャラクター的にもそれが違和感なかったから良かったけどね。松雪泰子も一生懸命なんだけど、年齢やキャラクター的にその一生懸命さはわりとネガだなという感じ。
あと音楽の話に戻って、作詞寺山修司・作曲志磨遼平の曲、ぜんぜん普通に「志磨遼平の曲」みたいだったんだよ。いかにしまくんが寺山の影響を強く受けているか。しまくんの書く歌詞を目で見ても、特に「寺山修司みたい」とは思わないけど、音に載せたときの言葉のニュアンスはめちゃくちゃ近い。そう認識してから寺山の歌詞を見ると、「いつものしまくんのやつじゃん」ってなる。
さっきの那美の「あたしは神さまに話しかけない/ふりむかない」って歌とかもろにそうだよね。
そう思うと本当に良かったねえ……としみじみ思う次第だった。
今年見た芝居の中で一番かというと難しい(ティーファクトリー「4」やイキウメ「外の道」も相当良かった)のだけど、大きい劇場で、華やかで、歌や踊りもあって、チケット13,000円(!)で、とかいう規模で、これだけ「ちゃんとしたお芝居」を見たのは本当にひさびさだった。小劇場作品とは質の違う満足感。こちらのほうがレアだと思う。面白い劇団の劇団公演は当たり前に面白いけど、プロデュース公演って値段ばかり張ってどうしても粗があるものなので……(大人計画のコクーンとかは実質劇団公演みたいなものだし)。
11〜12月に見た他の芝居が「そうでもないな〜」案件続きだったので、締めに良いものを見られて本当に良かった。みんなも見てくれ。それでは。
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