からい生活
前回のnoteを書き終えて、8月中旬に服薬を再開してから、ひさしぶりにオーバードーズをした。
理由は単純に引き受けた依頼がうまくいかなかったから。卒論を放って、徹夜を何度もして、二週間心身を追い込んで作業をしたつもりだった。完璧に完成したはずだった。そして、少し図に乗った。徹夜での入稿だったからそのせいもあったのかもしれない。
昔からそうだった。どれだけ努力をして仕上げても少し調子に乗ると最後には必ず失敗に終わる。そうやって、21年間失敗し続けてきた。
そうなるとわかってはいるが、私は瞬間的な報酬に弱い生き物なのでしょうがない。
オーバードーズは1回きりで辞めるつもりだった。気持ちよくなんてなれないし、そもそも好きではないから。
最初は頓服をワンシートと睡眠薬。それがずるずると続いて頓服のストックが切れたのが3日目だった。
3日間の記憶はないけれど、食事と排泄はきちんとできていたようだから安心している。
オーバードーズをして死ぬつもりはなかった。けれど、死んでしまえたら良かったと思う。今回のものは自殺未遂のさらに未遂的なもので、とにかくあの時は起きて意識を保つということが耐えられなかった。
幸い、学園祭期間中だったので単位の心配もなかったし、サークルも辞めていたので予定も空いていて良かったなと思う。
4年間で最後の学園祭だったのにあんまりなことだ。
そんなこんなで、三日間ダラダラと続けてしまったオーバードーズで記憶を混濁させながら、頓服のストックが切れたので、元気な時に予約をしていた観劇をしに大学へに向かう。心身の体調は当然、芳しくなかった。
この日の記録はまた別のnoteにまとめようと思う。
オーバードーズをする直前に癇癪を起こして泣き喚き、過呼吸を起こした。高校生以来のことだ。父親に諭され、母親と一番信頼している友人に泣きながら連絡をして、衝動的な死んでやる!という気持ちが少し治ってくれた。
治ってくれても、オーバードーズはしてしまったのだが……。
依頼がうまくいかなかったことも、改善しようとして奔走した結果、全てが裏目に出たことも、相手と分かり合えなかったことも全てが嫌だった。
何より、自分の中で自分を正当化することができなかったのが今回において一番の傷だったのだと、今なら思う。
どこまでも自分が自己中心的で自己保身的な人間なのだと思わされる。心底情けない。
その他にも、この時は身内にトラブルが発覚したり、いろいろなことが並行して起こっていたので、私はとんでもなく疲弊をしていたのだった。
オーバードーズをやめて、普通の日々を過ごすうち、モヤのかかっていた意識がはっきりとして、大きな鬱が小さな鬱に変わっていった。
希死念慮は常に感情に膜を張っているものの、それは2月頃から変化はないので良しとしようと決めた。
人生という大きな題目において挫折は許したくはないが、日々という小さなものには小さな妥協が必要不可欠だ。21年間生きてきて、これだけは断定ができる。正直人には勧めないが、私の生活においてはこのことがかなり重要な事柄である。
全てが上手くいって、関わる人全員に好かれて、何の苦労もなく世間を渡り歩いていけたらどれほど快適なことだろう。
しかし、それを達成するには私はあまりにも粗忽で、詰めが甘く、不器用で、隣人愛が足りない。
スパイスとお砂糖でできた私の身体にはほんの少しだけ、余裕が足りなかった。
けれど、思い描く通りに全てが平穏無事に済んだら、刺激を求めてしまうのだろうか。
少なくとも、こんな考えができている時点で私は十分幸せなのだろう。
以前のnoteでも書いたが、ゲッターズ飯田によれば今年は最高の年になるらしかった。特に、下半期は運気が最高潮なのだそうだ。
今の所は厄年と大差ないが、残り1ヶ月と少しで巻き返してくれることを願うしかない。
少なくとも年の暮に実家で泣いていたくはないので、努力はする。
1つ目の努力として、放ってあった卒論を再開した。気がつけば提出期限まであと1ヶ月を切ってしまったので非常に焦っている。本当はこんなもの書いている場合ではない。
卒論の提出期限に間に合わなかったというだけで4年間でコツコツ取得してきた単位が水の泡になることだけは勘弁だ。
とかく冬になると、寒さで体が思うように動いてくれなくなる。朝起きるのにも、支度をするのにも夏の倍以上は時間がかかるので、私は冬を憎んでいる。
自分の誕生日がある季節を憎みたくはないが、そうしていないとどうにも気持ちがおさまらないのでそうしてしまう。
いつか、本当に死ぬ時にそういった自分も愛せていたらな、とは思うが21年という時間ではまだ短すぎてその境地に辿り着くことは難しい。
最近はそうやって死にたいとこぼしながらも私はこれからも生きていくのだろうな、と思えるようになった。鬱が改善しているのかもしれない。
現在の時刻は22時すぎ。明日は大事な試験があるので早起きをしなければ。
三文の徳を残りの人生分積み重ねると、いったい何文になるのか考えながら残りの卒論を進めて今日は寝ようと思った。