鈍痛
朝6時頃までうまく眠れず、起きたのは16時すぎだった。
暑苦しさで目が覚める。部屋の温度計を確認すると32度を示していたので急いでクーラーをつけてパワフルモードにする。喉も渇いていたので冷蔵庫から冷えた水を取り、飲み干した。
最近、うまく眠れた日は深夜に頭痛のために目覚めることが多い。そのままにしていても頭痛は治らないので鎮痛剤を服薬することが増えた。そんな生活を繰り返していると鎮痛剤の減りが早いのでAmazonで鎮痛剤を注文する。通販で薬を買うとドラッグストアで薬を買うよりも半額くらい安くなる。Amazonプライムの印のついたものを買っているから比較的安心だとは思うが安くなるのは何故なのだろうか。
鎮痛剤を飲んでいると胃が荒れて痛むので胃薬も一緒に買った。うまく眠ることが難しいのでせめてもの抵抗としてY1000を飲む。鎮痛剤と胃薬を常飲している生活よりも向精神薬と睡眠薬で薬漬けになっていた時の方がよほど健康的ではなかったか、今の私の健康はたった1000億個の乳酸菌に委ねられている。Y1000に対してあまりにも荷が重すぎることだ。
オーバードーズは気持ちよくなれる確率が低いのであまり好きではない。
飲酒もアレルギーの為に気持ちよく酔えたことが一度もないし、喫煙も快感のためにすることではないと思う。サウナに入った後はふわふわとした感覚を味わえずに眠ってしまうので整うという感覚も感じたことがない。理性を飛ばす気持ちよさをお手軽に感じることができないというのは悲しいことだ。
近頃は生きているために苦しんでいるのか、苦しむために生きているのかがよくわからない。どちらにせよ苦しいことは苦しいのだと思う。
過去というのは、魅力的な選択肢を提示してくれる。あの時こうしていれば、あの子と友達になっていれば、あの時恋人と別れていなければ私はもっと外交的で明るくてもっと良い人生を歩めたはずだと思わせてくれる。過去は魅力的でそしてとても残酷だ。過去は過去なのだから選択肢が提示されても選ぶことはできない。
10歳の時に書いた10年後の自分への手紙が未だに怖くて開けられていないことも、高校1年生の時に書いた20歳の自分への手紙を捨ててしまったことも今までの過去を確定させることが嫌で出来ていない。つくづく弱い人間だと思わされる。
今後の人生を生きる上で、恋をすることを諦めて、結婚も出産もしないと決めた。インターネットには恋をしなくても擬似的なときめきを摂取できるマンガや小説が山ほどあるし、性欲を満たしたければ女性向けのポルノコンテンツもある。擬似的でも恋愛欲や性欲は満たされるから便利だ。時折そんな自分が気持ち悪くも思えるが、今の所はなんとかなっている。
結婚や出産をしないと決めたのは、なにも子供が嫌いだとかそういう理由ではない。出産というのは経験できるのであればしてみたい。でもそれに尽きるのだ。私個人の経験として出産というものをしてみたいと思うのであって、出産した後のことは宙に浮いている。命が生まれるのだ。私の出産という経験をしてみたいという自己中心的なエゴで。
生まれた子供に障害が遺伝する確率は?ヤングケアラーになる想定は?それをカバーできる金銭的余裕は?
少し考えただけでも問題点しか浮かんでこない。
親は私が結婚することを望んでいるらしく、会うと見合いの話を持ち出してくる。私が断るのを自分を卑下しているからだと捉えているらしいがそれも違う。
これ以上苦しみたくないから私自身を守るために決断したのだ。
人間は変化する生き物だから、数年後には意識が変わっているかもしれないけれどきっと出産に関してはずっと変わらないと思う。
死んだら樹木になるのだ。一人で生きて一人で死ぬ。不健康なこの生活も私を支える鎮痛剤もいずれ樹木に変わるのだ。