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お腹の声を聞く
わたしは日本人で、当たり前に日本語を話しているのですが、日本語には「腹」という言葉がよく出てくる。何かあれば「切腹」していた文化だったし、「腹を据える」「腹を割る」「腹が立つ」などもよく使う。
ひょっとして体の中心は「腹」なのではないか?というのが、わたしの疑問の始まりだった。
現代人は、頭に比重を置きすぎているとすごく思います。頭で考えて、頭で決定していく。でもそれは最適解なのだろうか?
お腹に手を当てたり、意識を集中してみると、意外なことに気づく。一種の瞑想みたいな感じになるけれど、宗教的な儀式ではなくて、少し体の声に耳を傾けてみる程度のものでも、色々なことを感じているのだとわかる。
わたしの腹は、滅多に荒れたりしない、穏やかなタイプのようだ。体の中心であるこの部分は、「こなして(消化して)」「栄養を吸収する」という部分。多少の毒は吸収してしまう強さも持っている。野菜のアクなんかも、少しくらいなら問題ない。頭のように言葉で考えたりしないので表現するのが難しいけれど、「感じる」のである。
逆にわたしの頭は、よく荒れている。しょっちゅう頭にくるし、イライラするし、余計なことを考えては心配性になる。しかも統合失調症という脳の病気も患っているので、うまくいかないことも少しはある。頭は、考えたり、言語化したり、計画を立てたりと、非常に重要な仕事をこなしている。
もし腹の声を感じてみて、頭の言い分を聞いてみた時に、意見が違った時どうすればいいか。わたしは腹のほうに従うようにしている。わたしの腹はそんな頻繁にワァワァ言わないのである。人によるのかもしれないけど。腹が言うなら、それは「今必要に感じている」事であり、頭が得意とする「将来必要になるだろうという予測」や「みんながこうしているからという見栄」とか、「社会的にこうでありたい」というものとは別次元で、体と心に必要なことが多い。
今週のわたしのお腹の訴えは、「消化不良気味なので朝ごはんは抜いて欲しいです」とか、「魚と生野菜を食べてほしい」とか、「(頭はイライラしているときでも)別に腹は立ってないです」とか(笑)。頭がイライラしているときでも、腹に聞いてみると、大した事ないって言われる確率多し。
他の人のお腹についてわからないのがもどかしいのですが、わたしのお腹は平和主義というか、穏やかというか。わたしの頭は色々考えて不安になっていく部分であり、お腹はマイペースで穏やかで、基本的には不安とかないタイプのようです。
これを知ってから、わたしは頭でクヨクヨと考えすぎる時には、お腹に聞くようにしています。すると、イライラが減って、子どもとの関係も少し改善したかなと思います。
みなさんも、思考がグルグルしてしまったとき、お腹の声を聞いてみてはいかがでしょうか。