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初任者教員が抱える悩みを聞いて考えたこと #先生大変

『悩む』とは?

 今週は先生方が参加する勉強会に飛び入りで参加させていただき、多くの初任者の悩みを聞く機会があった。

 『評価の付け方がわからない』『効果的な座席の配置とは?』『社会科の学習問題を立てる方法とは?』『コーディネーターになるには?(発言を繋げる立場になるには?)』『クラスを落ち着かせるには?』『会話をつなげて授業をするのは?(聞いているだけの子への対応とは?)』『文章指導で子どもたちの考えていることを引き出すには?』…等々。


 それぞれの疑問に、これまで多くの人たちの悩みを聞いてきた私なりの考えを言うことはできるが、ある種〈答え〉のようなものを出すことは憚られた。理由は、十分な時間が取れなかったことにある。言葉の定義も共有していないし、その子どもたちが置かれている環境もわからない。ましてやその初任者の先生の指導観も分からないところもある。

「原因自分論」と「本気度」

 唯一、アドバイスできるとしたら、その全てにおいて『原因自分論』(自分の意思決定とその結果の原因を自分のこととして捉えること)で考えているかどうか、ということだけである。少しニュアンスは違うが『本気度』とも言えるような、その悩みを『本気で』解決したいと思っているかとも言い換えられるかもしれない。

まず『ありたい姿を考える』ことと『現状を知る』ことから

 そもそも『悩み』の類の話を聞いたら、私はまず「どうしたいの?」と聞きたくなってしまう。(リクルート社っぽいな…改めて…)『悩み』はそもそも現状(as is)と、ありたい姿(to be)の間に生じるギャップのことである。そのことを認識せずにただ漠然と『悩む』のは時間の無駄だ。問題解決にははっきりと順番があり、まずは①ありたい姿(to be)を明確にイメージするところからスタートする。その次に、②現状(as is)を分析し、最後に③やるべきこと(to do)を考える。


 そしてほとんどの場合、①と②が十分に思考されていない場合が多い。逆に言えば、①と②が明確になれば、自ずと③の答えは出てくる。


 例えば学級経営のマネジメントで悩んでいるとすれば、ありたい姿(to be)は『求める子ども像』ということになる。「子どもたちに、こうなって欲しい」「こういう行動・考えをしてほしい」というものである。もし、この考えが、高度経済成長期の教育観に基づいているとしたら、明らかに社会の要請とズレているので、その悩みは、悩んでいること自体が間違っているということになる。

 自らの思い込みで問題を創り、それに悩むことほど時間を無駄にすることはない。そのような悩みをもつ人がいるとすれば、明らかに必要なのは、問題を解決する術ではなく、社会の声に真摯に耳を傾け、日本のトップランナーの書く書籍を読んだり、新学習指導要領が何を求めているのか参考資料などを基に十分に読み取る努力をすることである。②についても同様で、インターネットを使えば日本の現状を示すデータはたくさんでてくる。

まとめ

 正しく『悩む』こと、そして『問題解決には方法論がある』ことを知ることが重要だ。教師教育を行う立場の人間であれば、上記のことを、その職場環境に基づき、棘がないように、優しく(時には厳しく)、寄り添いながら、人材育成の視点で伝える技術も求められよう。

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