「好きだ」と言わず、いかにして好きであることを伝えるか
橋田壽賀子は登場人物の感情をすべてセリフで説明するのだと聞いたことがある。家事をしながらでもテレビドラマを楽しめるようにとのことらしい。目を離していても内容がわかるようにという配慮。なるほど。
つい先ごろ映画を2本観た。「峠」と「エルヴィス」。
「峠」は説明が多いというか、終始セリフによる説明がなされていたような印象。まるで朗読劇。「エルヴィス」も決してセリフは少なくないものの音楽と映像だけで心情を伝えてきてる印象。言葉を使わないから、言葉にならない衝動や動揺や悲しみがより伝わってくる。
映画の作り方、スタイルの問題なのかも知れない。
チャップリンやMr.ビーンなど、セリフがなくても笑っちゃう。日本語カタコトのベトナム人が志村けんの「だいじょうぶだぁ」観てゲラゲラ笑い転げてた。
言葉を多用しても言葉を使わなくても、そのいずれかが優れているとか劣っているということではない。ただ、その限界を知った上で言葉を使わなくちゃと思うことが最近増えた。
ちょっと例えとしてわかりにくいと思うけど、言ってみれば相手に抱いている好意を「好き」という言葉で表現しても全然伝わらないってことがあって、そういうときってたいてい伝えたい側が言葉で通じ合いないことに苛立ったり腹を立てたりして、良い関係を作りたかったはずなのにギクシャクし始めたりとかね。なんでわかってくれないんだ!とか。
言葉の世界に参加する前の赤ん坊に胸を動かされるのを実感して、そんなことを考えた。考えたことを、こうして言葉でしか表現できないでいることが少しもどかしい。
なかなか深いね。
世界のゴキゲンが増えるといいなって考えたりしゃべったり書いたりしてます。ありがとうございます。