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月の耳#シロクマ文芸部

「月の耳が一番よく聞こえるのは、半月のときなのよ、ほら耳の形してるでしょう?」叔母が言った。

入院中の伯母の面会に行ったのは、私がまだ二十歳のころだった。伯母は母の一番上の姉で膵臓を病み、もう三カ月入院していた。晴れた秋の日で、空にぼんやりと白い半月が浮かんでいた。病室に着いて「白い半分のお月様が見えているよ」と話した私の言葉に、伯母は、月の耳の話をしたのだ。

会計事務所に勤めていた伯母は、ずっと独身だった。最初努めた旅行会社の上司と恋をしたが実らなかった、という話を母から聞いたことがある。

「わたし、好きになった人がいてね」
と 伯母が話し始めたのは、検温に来た看護師が帰った後だった。
「だいぶ年上で奥さんもいたの。でもわたしはそれでもいい、と思った。彼がわたしを大事に思ってくれているのを知っていたから。でも、やっぱりこういう付き合いはよくないと、悩んだ末に『別れましょう』と言ったの。彼はこわい顔をして『僕は別れない、絶対に』と言ってくれた。嬉しかったわ。でも一年くらいたって、わたしにお見合いの話がきて『結婚しようかと思う』と話してみたの。彼はきっと怒る、そうして
『妻と別れるから僕と結婚しよう』と言ってくれると思って・・・

病室の窓からは半月は見えなかったが、伯母は空を見ながらため息をついた。頼りなげな小さなため息・・・紺のなでしこ模様の寝間着の下の胸が、ため息と一緒にゆっくり上下した。

「でも、彼は、『君の幸せを考えたらそうした方がいいね』と言ったの。他人事のように。ショックだった。この人とは別れよう、その時決心したの。お見合いなんかする気もなかったしね、それからずっと一人・・・」

病室をでると、まだ半月は光を弱めて空に残っていた。伯母はその三カ月後に還暦を前に旅立った。あの日の話を聞いていたのは私だけ、いえ、
耳の形をした半月もきっと聞いていたに違いない。伯母と私と月、三人だけが知る遠い日の秘密の話。半月を見ると思い出す。

            おわり

     

小牧幸助さんの企画に参加させていただきます。
よろしくお願いいたします。

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