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働く天使

"倒れないようにケーキを持ち運ぶとき人間はわずかに天使"
どこかでみつけたこの短歌を思い出すたび、私は背筋がピンと伸びる。


おはようございます! そう言ってドアを開ける。オーブンで焼けるアップルパイの甘い香りが心をくすぐる、その瞬間がとてもすきだ。私は社会人一年目のパティシエ。####という名前のケーキ屋さんで働いている。####とはフランス語で深く愛する、こだわる、大切にするという意味で、私はこのお店が大好きだ。花の装飾が施された温かみのある店内に広がるキラキラとしたショーケース。お行儀よく整列した色とりどりのシフォンケーキ。憧れのお店で働けるなんてこれは夢なのかもしれない。

####との出会いは私が高校生の時だっ
た。向陽高校のパティシエ科に通う私は毎日お菓子ずくめの生活をしていた。お菓子屋さんからシェフを招いて行われる製菓実習は特に大好きな時間のひとつだった。そこで出会ったのが##シェフ、####のオーナーシェフだ。たちまち私はシェフの大ファンになった。真紅の可憐なコック服に身を包んだシェフの華麗な手さばきに見惚れ、お菓子に関する膨大な知識にときめき、シェフによって創造されるお菓子の美しさに惹かれた。いつか私もこんな素敵なパティシエになりたい、と強く思った。

高校2年生の昼休み、友達に背中を押され、勇気を出して、シェフに####でアルバイトをしたいですと伝えた。膝がガクガク震えて泣きそうだった。その時の気持ちを思い出して今、仕事を受け合う毎日を真剣に大切に過ごそうと心に決めている。

高校時のアルバイトを経て、卒業後、正式にパティシエとして####で働かせて頂くこととなった。やるぞ!と意気込んだのも束の間、アルバイトの時とは違う、仕事の大変さ、重大さに打ち拉がれた。特に在庫確認が苦手な私は、その事で迷惑をかけてしまうことが多々あり、すみません、すみませんと連呼する日々だった。惨めだった。仕事をするたびに夢や憧れが遠のいていく気がした。しかし、シェフをはじめ先輩方が私に温かい言葉やアイディアを貸してくださって少しずつ成長することができたと思う。そこではじめて仕事は一人でするものじゃなくて、沢山の人と支え合ってするものだと身をもって実感した。父や母、学校の先生方、近所のスーパーのおばさま、総理大臣、周りの働く大人たちが如何に凄くて大変で素晴らしい人たちなのか、やっと気づくことができた。


私が特に好きな仕事はクレームブリュレを作ることと、パイピングをすることだ。
私がはじめて任されたお菓子作りがクレームブリュレだった。高校生の時からシェリール のクレームブリュレのファンだったのでとても嬉しくてドキドキした。キャラメルのお焦げをぱりんと割るときのあのときめき、バニラが香るとろりとなめらかな食感に甘酸っぱいフランボワーズのアクセント。ついアメリのサントラを口ずさむ。一度に50個仕込むので重たくて大変な作業だ。でも決して50分の1ではなく、お客様にとっては1分の1なのだからそれを忘れずにひとつひとつにおいしくなあれ、と愛を込めて大切に作りたい。

パイピングとは、ケーキに添えるプレートにお誕生日おめでとう等のメッセージをチョコレートで描く作業のことだ。結婚記念日おめでとう、出産おめでとう、よく頑張ったね、いつもありがとう‥‥パイピングをするとき、私もお祝いをする方々のひとりに加われる気がしてとても幸せを感じる。はじめは文字を上手く描くことができず苦手意識を持っていたけれど、段々と先輩方やお客様に字が綺麗だね!と褒められるようになり、はじめて自信を持って仕事をすることが出来た。お客様の幸せに立ち会えることがこんなに嬉しいことだなんて、この仕事をするまでちっとも知らなかった。大袈裟なのかもしれないけれど、いまの私にとっての生きがいはこのチョコレートで生み出す温かい言葉たちなのだ。


コロナ禍のなか、クリスマスがやってきた。状況に応じ、柔軟に冷静な判断を下す先輩方がすごくかっこよくて感動した。
私は無知で難しい事は分からないけれど、私たちパティシエが作るお菓子で世界に幸せな時間が広がるといいなと願う。
働けば働くほど、私が憧れたパティシエにはまだまだ遠くて果たして近づけるのかも分からない。でも夜は明けるし朝は来る。私はお菓子が大好き。夢をもって進み続けたい。


おはようございます! 今日もドアを開けてアップルパイの甘い香りを吸い込む。シェフの笑顔が見える。そして今朝も確信する、この仕事が、この職場が大好きだ と。

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