彼女は頭が悪いから 読了 3/3 最悪の文学的価値観
3、最悪の文学的価値観
私はこの本を読む中で、自身の醜悪さを認識し、中程度の自己嫌悪に陥った。
そうなった原因とは何か。
それこそが当書の最悪の文学的価値観である。
約450ページある当書は、登場人物達を内面的な心情と外環境的な人間関係を至極綿密に描写した文学作品である。
主要な登場人物は中学生時点から時間をかけて描写され、その人物像がどのように形成されたのか、その人物は周囲にどのように認識されているのかという点の描写において一切の余念がない。
彼ら、彼女らは実に丁寧に、実に正確に描かれる。
370ページから始まる、当書のクライマックスのレイプシーンのために。
読了した方であれば分かるであろうが、普段のシーンの精緻な描写は、無慈悲にもレイプシーンにおいても存分にその力を発揮される。
それを私はどのように受容したのかと言うと、冒頭の作者の思惑通りであった。
私はそのレイプを、ただ猟奇的に、好奇の目を持って読み進めた。
私が冒頭の文言を思い出したのは、当箇所を読みおおし、ひと休憩、としたところであった。
『いやらしい犯罪が報じられると、人はいやらしく知りたがる。なれば、共に犯罪者と同じである。』
完全にしてやられた。紛うことなく大敗である。
私は作者の掌の上で遊ばれていたということに違いなかった。私が当初行った反駁は風前の塵同然宙に巻き上げられ、果てしなく青い紺碧の空へと吸い込まれていった。南無三。
然し時間差で、私はとある可能性を考慮した。それは、当書の存在価値であり、最悪の文学的価値観である。
この本は、数多の小説の中でも最大の「臨場感」を演出しているのではないだろうか?
まず、上記の描写の丁寧さについて。
レイプシーンの描写まで、369ページをじっくりと使い、登場人物の生い立ちや人となりをほぼ完全に確立している。
これはレイプシーンに読者を引き付けるためになくてはならない必要不可欠な要素である。
レイプという行為は、最も大きく被害者の尊厳を破壊する犯罪のうちの一つに違いない。
ここでその是非を問うような思考は挟まないが、性的な作品のジャンルとしてもレイプは一定の界隈人気を維持している。
それを楽しむ人々は人々は、一体レイプの何を主眼として快楽を得ているのか。
これは完全に私の推論に過ぎないが、彼らの中には尊厳破壊をヤマとして愉しんでいる輩も存在するのではないだろうか。
尋常、被害者は我々と同じように、日常を日常らしく過ごしている。他人と交流する。ルーティンをこなす。思いがけぬ幸福に頬を緩める。上手くいかないことにストレスを感じる。笑い、悩み、緩やかな波に身を委ね、日という単位を揺蕩っている。
それがレイプによって、唐突に破壊される。
前触れはない。繊細な事象が複雑に積み重なった人生という塔が、非倫理の強襲によって倒壊を始める。
その非日常性が人を惹き付けるということは充分にあり得る話ではないか。
そしてこの小説は、その欲望を満たすための装置が埃一つ被ることなく完備されている。
詳細な人間係。表層の意識と潜在意識。細かな心情の機微。
もし人生の塔が高ければ高い程良く、複雑ならば複雑な程奥深いのであれば、この作品は最高級のレイプジャンル作品である。
それこそがこの作品の、最悪の文学的価値観なのだ。
このレイプが実際に行われた犯罪であるという事実を、我々は忘れてはならない。
この作品はフィクションである。だが、レイプは現実の事実なのだ。
詳らかな登場人物の描写。
このレイプが現実のものであるという臨場感。
いやらしい犯罪が報じられると、人はいやらしく知りたがる。なれば、共に犯罪者と同じである。
それを私は、文字通り痛感することとなった。