ふるさとを思う時
ふるさともまたあたしを思ってくれているのだぞ。
だといいよなあ。高宮です。
今日は夜からまたアルバイトに出るので、高校の頃毎日乗って通学していたバスに久しぶりに乗ってnoteを書いています。
久しぶりに時刻表を調べたら、1時間に1便になっていて驚いた。乗らないようになってもう6年?
もしかしたら、高校の時も便数は変わらなかったかも。今でも朝と夕方の、利用者が多そうな時間は数本あるし。
少しずつ値上がりをしているのはバスも電車も変わらないですね。路線廃止にしたら、学生さんもシニア層も足がないのだし。
ここの会社ではなく、大学近くを走るバスの運転手さんと仲良くなって、飴やチョコをいただいてバスが出るまでお話をしたことがあるんですが。
やっぱり地方のローカル路線って、どこも厳しい。ライフラインだけども、売上が上がることは無いし、かといって助成が潤沢にあるわけでもない。
運転手さんもなり手が少ないし…(賃金の問題とかね)、お金、社会貢献、利用者の問題。どれを取っても、ここからどうしよう、と言った状況らしく。
地方はやっぱり車社会ではあるけど、学生、シニア層、そういう人たちも学校、買い物、病院、そう、田舎は遠いのです、色んな物が。
必要なものが集約されているのが都市機能で、例えば電車が5分に1回くれば、単純な距離よりも時間的距離が縮む。田舎で目の前にあったとしても、1時間に1本のバスを待っている時間って、かなり長いですよね。
でも昔から住んでいて慣れ親しんだこの町、嫌で嫌で飛び出して、さっき少し歩いたら一人の人ともすれ違わないで驚いたこの町。
あたしが大人になるということは、親も、そして、ふるさとも、おなじく歳を重ねているんだなと。
その事実にどきりとしました。そんな夕方。
この町は息苦しいし田舎だし星だけ綺麗なとこが嫌い
#あみもの短歌 、そして #うたの日 に出した自作短歌です。
初出は友達とやっていた50音で一首ずつ詠むお遊びから。
友人にも、読んでくださったネットの人にも、そして母にも好評。個人的にもお気に入りです。
みんな、「この町」を持っている。
あたしはふるさとを思って詠んだけど、今住んでいる町、転勤先、嫁いだ所とか、色々。
愛憎混濁、それがこの町。住めば都だなんて綺麗事だよ。
でもやっぱり、懐かしく思い出すのです。
窮屈で、愚かで、しかし愛されていたと言いきれる。
この町で過ごした18年間を。