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過去の職場のこと

コンビニのお仕事デビューしてきました。SNSでの発信が禁止されているので今後はお仕事の具体的な事を書くのは控えたいと思います。

現在の話を書けないので、過去の話でもつらつらとしていきます。

20代後半~30代前半にかけて、私は電車で片道2時間半かけて通勤していました。約4年間。

自ら探して応募した訳ではなく、知人からの紹介でした。自力ではとても入れなかった、恵まれた環境だったと思います。

朝7時の電車に乗り、8時間勤務(拘束は9時間)して定時で退社しても自宅に付くのは20時半でした。残業もありました。

地獄の通勤ラッシュを体験し、都会のど真ん中で働き、色々な経験が出来ました。
大企業で働く人の優秀さを実感しました。頭の回転が速く、言語化に優れていていて、相手に合わせた会話が出来る。

休憩時間に起きた面白い出来事を、その時その場にいなかった人にも、端的に説明出来て笑いも取れる。
この一部始終を間近で見て、あまりのスマートさに圧倒されました。

普通の人なら「今こんな事があって、〇〇さんがこう言って、それを聞いた○○さんがこう言って、それで、、、」って長くなりそうな事を、手短かに面白おかしく説明できるんです。

頭がいいって、こういう事かと思いました。

年に数回、役員が来る時には半沢直樹のドラマのような世界が繰り広げられていました。大企業って面白いと思いました。エリートサラリーマンというのは、こういう人たちの事を言うのかと興味深かったです。

転勤も頻繁で、辞令が出てから実行されるまでの準備期間の短さに驚きもしました。

飛行機の距離での転勤なので単身赴任の方も多く、そりゃあ家族はついて来れないよねって思っていました。

激務で自宅に帰れず、近場のホテルで寝ている人もいました。着替えを奥様に持ってきてもらう方もいて、なるほど、いつもお洒落でパリッとスーツ姿が決まっているのは、内助の功ありきなんだと知りました。


その職場では、高給の代償なのか当然激務で、心身の調子を崩す人もチラホラいました。

休職して復職してまた休職してを繰り返している人もいました。本当に辛そうで、高給じゃなくても良いから、出世しなくても良いから、私の家族には心身健やかに働いて欲しいと感じました。

数十人から始まったプロジェクトが最終的に300人を超え、その過程でオフィスの移転を経験し、超高層ビルで働く事になりました。
娘に「ママはあそこで働いていたんだよ」って自慢してます。自慢と思っているのは私だけで、娘は何とも思っていないでしょうけど。

私の業務担当箇所はクライアントとの中継地点になっていたので、私との関係をスムーズにしておくことが業務の効率アップにつながっていた為、とても偉い方たちなのに私のような末端スタッフにもとても物腰柔らかく丁寧に対応して頂きました。俺は偉いんだからと威張るヤツは、頭が悪い人なんだと知りました。


今だったら通勤に2時間半なんて絶対無理です。通勤ラッシュの電車には二度と乗りたくありません。
でもそこで得たものは非常に多かったです。
アクセスの良い場所に通勤していたおかげで、私のような田舎に住んでいる者でも少しばかりの人脈が繋がり、パソコン書籍の編集に携わる事ができました。市販の書籍に名前が載った事は一生の自慢です。

通勤往復5時間、しかも交通費自腹なんて馬鹿げていると思うでしょう。でもそのおかげで今の私があると断言できます。若いうちから条件重視で「近場で残業無し、完全週休2日」なんて言っていたら、それなりの経験しか詰めず、スキルアップもできないんじゃないかなと思います。

私は昭和的な考えを否定しません。リゲインのCMも嫌いではありません。

通勤往復5時間の前は、距離は近かったけれど勤務時間が長い職場でした。
休日出勤当たり前、仕事をしながら菓子パンやカロリーメイトをかじるのが食事、家では寝るだけ。同僚と「お疲れさまー、でも8時間後にはまたここで会うね」とかザラでした。

立ち上げ時期の会社だったので未知の事ばかりで、マニュアルなんてなく、すべて自分たちで試行錯誤しながら作り上げていきました。

強制される休日出勤や残業ではないので、体は疲れましたが精神的には辛くは無かったです。むしろ楽しかったんです。


狂ったように働ける時期なんて、ほんの短い期間です。それを経験することで、私は自分に自信がついたように思います。

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