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ミッドサマー再見。理解と誤解の差は?

夜勤作業も一段落し、新しい週の始まりです。今日も相変わらずの猛暑。久しぶりの昼作業なので、余計に身体に堪えます。明日に控えた最後の面の足場解体のため、朝から補修作業続き。地味で細かい作業ばかりですが、滝のような汗が止まりません。

5か月ほど常駐していたこの名谷の現場も、残すところあと1週間ほど。メインの施工は終え、残すは足場解体の合番作業です。緑に囲まれたこの名谷にも、いよいよ愛着が湧いてきました。名残惜しいですが、すでに次の現場もいよいよ決定。スーパーゼネコン元請の大阪は肥後橋の改修工事です。余韻に浸る暇もなく、また新しい工事の始まり始まりです。

次の現場は職人として作業します。半年ほど管理だったので、真夏の作業が不安でなりません。乗り込みから数日は、熱中症、そして筋肉痛との戦いでしょう。救いは、家から現場までが近いということ。名谷と比べれば、距離も時間もちょうど10分の1程度です。

風の噂では、8月中旬までに完工させる必要があるようです。まさに突貫工事です。名谷の現場に来てくれた職人さんの多くもすでに乗り込んでいて、毎日、「なかなかヤバいぞ。はよコッチ来い」と半ば脅しのような電話がかかってきます。工程もへったくれもなく、工事として如何なものか、とは思いますが、最後は人海戦術でどうにかするしかないでしょう。

昨日の休みは午前中から買い物三昧。購入した、欲しかったものと必要なものの重量の比率は1対9ほど。金額では、8対2ほどでしょうか。日々の生活に必要な消耗品は、嵩張るので買い出しも一苦労です。

帰宅後は呑みに出かける予定でしたが、なんとなく億劫になって急遽取りやめ。最近同僚との会話の中で久しぶりにタイトルを耳にした、「ミッドサマー」を再見することに。初見でも圧倒されましたが、とにかく映像が美しい。多用されるシンメトリーの構図や、過剰なほどの「引きの画」が、美しさのなかに絶妙な不穏を感じさせます。とくに後者は、まるで自分があの祭典の一員になって、傍観しているような錯覚すら受け手に強制させます。

中盤頃にはラストまでの流れをなんとなく思い出しました。初見の際、友人とこの映画について語る機会がありましたが、解釈が分かれたことも思い出しました。

僕自身、創り手と受け手の解釈がかならずしも一致しないといけない、とは考えない人間です。受け手がどう解釈しようが構わない、とすら思います。そういう意味で、僕は評論家には向いていないでしょう。彼らはなんとかして創り手から創作秘話のような裏話を聞き出し、「創り手の認識」を情報の受信側に伝えることが使命なのです。

昔から、「すべての理解は誤解である」という言葉を信じています。だからこそ、本当に自分が伝えたいことは、できる限り真摯な言葉や態度をもって相手に接しなくては、と考えています。そして、そういう心意気で望んだとしても、結局自分の思いが他人に正しく伝わる割合は、せいぜい40%が良いところかな、というのが現状。まだまだ精進不足、あるいは、このあたりが頭打ちかな、とも思えます。




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