冬休み最終日に思うこと ~時間の流れが速すぎる~
こんにちは。Makotoです。
表題の通り、なんと今日は冬休み最終日です。先ほどようやく宿題を終わらせました。
あの、毎年思うんですけど。
冬休み短すぎません??
冬休みが始まって直ぐにクリスマスがあって、
少しボーッとしたら大晦日で、
次の日からは新年で、
また少しボーッとしたら最終日!
「長期休み」と銘打っておきながらこんな有様じゃ、もはや詐欺ですよ詐欺。やりたいこといっぱいあったのに。
あ。そういえば、冬休みに入る前、英語の先生がしきりに "Winter Break" と言っていたことを思い出しました。
なんで "Vacation" って言わないのかなーって不思議だったんですけど、いま意味が分かりました。クリスマスとお正月を含んでこの短さは、全く持ってバケーションじゃない。ちょっと立ち止まって休憩するだけです。うん。
では、本題に入ります。
冬休みの宿題の一つに国語の読解があったんですが、そこに出てきた文章が非常に興味深かったので共有します。
(興味深かったと言っても、難しすぎて半分くらいしか理解できなかったんですけどね)
文章は、白井利明さんの『<希望>の心理学 時間的展望をどうもつか』からの抜粋です。
彼はまず、時間の進みが速く感じるのは「達成動機」が高い場合だという研究を紹介しました。達成動機とは、自分で定めた目標をやり切ろうとする意欲みたいなものです。「今日はこれとこれを終わらせよう」という目標を立てたのにそれが達成できなかったら「1日があっという間に過ぎた」と感じる、ってことですね。
次に彼は、トーマス・コトルという心理学者が指摘する「現代社会の未来志向的な文化」について言及しました。
この状況では、「目標の達成」を良しとする価値観に基づいて能動的に行動した結果、未来志向的な文化によって逆に「現在」を疎かにしてしまっているというジレンマが発生します。これをコトルは「時間と自我のねじれ」と呼んだそうです。
そして、現代社会は未来志向的な文化が蔓延っていることを踏まえ、
と指摘し、
と言い換えてまとめました。
じゃあ「現在」を豊かに生きるためにはどうしたら良いのか。彼は心理学者の小林進の話を引き合いにしながら、こう述べました。
小林進によれば、「時間」には2つの流れがあるそうです。
1つは『機械的物理的時間』。我々が一般的に時間と呼んでいるものです。1分=60秒で1時間=60分という世界線。この概念の時間では合理主義が最も上位に位置し、できるだけ効率よく・節約することが正義となります。
もう一つは『内的・主観的時間』。この概念について、彼は以下のように説明していました。
そして、
とまとめました。
<僕の最初の感想>
「内的時間」って結局何やねん。
螺旋的な時間って何よ。
「モモ」を読めば分かるのか?
内的時間って何でしょうね、本当に。
ただ、物理的時間と対比される時間ってことは、「時間の密度」みたいな話かな、と思いました。
どれほどの濃さの時間を過ごしたのか。即ち、時計の針が動いた角度で感じる時間では無く、自分の中に流れる時間に神経を傾けるべきだというのがこの人の主張かもしれません。過ごした時間が濃ければ濃いほど良い、という話では無く、目標とか達成動機とかを一旦忘れて、ただの体感時間に注目する。おもしろい考えだけど、やろうと思ってできるものじゃ無いよな、とも思いました。
「いや、別の解釈があるだろう」とか「『モモ』はこんなお話だったよ」とか「私にとって時間とは○○だ」みたいな持論がある方。是非コメントに書いてください。参考にしたいです。
では今日はこのへんで。
読んでくださりありがとうございました!