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第1号
初めてネットに文章を投稿します。別に誰かに読んでほしいわけじゃない。思ったことを、ポンと投げられる場所が欲しかったんです。それがたまたま誰かの目に留まって、たまたま共感を得る。世の中のもの、とくに芸術はそういう風にして成り立っているんじゃ無いでしょうか。
それでは、はじめてらしく、自己紹介をします。
Makotoです。正直あまりしっくり来てません。いい名前を思いついたら変えます。
僕は学生です。もうお気づきかもしれませんが、生意気な学生です。よろしく無いことは分かっていますが、直す気はありません笑。陸上部に入っていましたが、最近辞めました。その話はまた追々。
好きなものも披露しましょう。音楽と鉄道が好きです。音楽はクラシック音楽とJPOPしか知らない。鉄道は割と幅広く知識があります。乗ってみたい路線は花咲線。あと、宝石も好きです。ときどき宝石店に行って安い宝石をゲットします。
こんなもんかな。
学生の世界では、今は夏休みです。宿題・文化祭の準備・塾の勉強・友達との遊びに大忙しですが、夏休み特有の解放感に気だるい暑さも手伝って何もする気が起きない。暇じゃないのに暇(やらなきゃいけないことは山ほどあるのに、何もしてないから、傍から見ると暇そうに見える)なんです。そうすると、色々と思うことがあります。
例えば、実存的主体としての人間はあるのか。
少し前に、授業でそういう話題の評論を読みました。中々興味深かったです。
「実存的主体」とは「独自な存在者として自己の存在に関心をもちつつ存在する人間の主体的なあり方」。平たくまとめると、「自分は何者であるか」ということを意識して、あるいは追い求めながら生活していく態度のことです。
実存的主体という概念は、「自分は何者であるか」という問いに対する答えが用意されているのが前提です。それを追い求めているんだから、当たり前の話ですが。で、僕はこう思うわけです(正確には、授業で読んだ評論に書いてあったことをパクっただけ)。
「自分が何者であるか」の答えってあるの?
最近メンタルが弱ってる僕が出した結論は”No"でした。
自分が何者であるか? そんな問いに対する答えがあるなら誰も苦労してません。みんなここまで必死にならなくても生きられる。
人間という生物は、とても流動的で不安定です。1分1秒という単位で、考えていることや興味の対象が変わる。そんな生き物が、自分を定義づけできる訳が無い、と僕は思います。
辞書に偉人が載ってること、ありますよね。辞書に人名を入れる際、あるルールがあるそうです(あるってめっちゃ使ってる)。それは、存命中の方は辞書に載せないこと。変わるかもしれないから、らしいです。俳優が映画監督になったり、ミュージシャンが起業家になったりするかもしれない。だから、その人が亡くなるまで「その人」は定義できないんです。
強いて言うとしたら「自分は自分でしか無いから、実存的本質なんか諦めてしなやかに生きる」が納得解でしょうか。
色々な人の影響を受けつつ、適度に社会と関わりを持ち、それなりに仕事をしておけば、それだけで人生は悪くないものになると思います。
我々は、相対評価を気にします。というか、一人一人違うんだから絶対的基準は作れない。それ故に、頑張っても頑張っても評価されないことは多々あります。「コミュニティ」や「世間」などという不安定なものに振り回されて後ろ指を指されることもあります。活躍している友人を見て自分の無能さを痛感することもあります。ストレスが溜まるのもしょうが無い。だけど、そういう世界で僕たちは生きていかなきゃいけない。確固たる自分なんて追い求めてると、いつか限界が来てしまいます。今この瞬間、自分が一番惹かれたものに全力を注げば良いと思います。
偉そうですみません。それではここらへんで失礼します。