拝啓 ヤスオ
私の祖父はロマンチスト。
幼い時に、私が「これ好き!」と言ったジュースを、後日箱買いして家に送りつけてきたり、お正月には財布をプレゼントしてくれて、その中にちゃんとお年玉を忍ばせてくれたり、粋なサプライズをしてくれる私の出会った男性の中で一番イケてる男性。
一緒に山に星を見に行った時には、ベンチに寝転がって永遠に星を眺める私に付き合って、雰囲気を壊さないようにエンジンをオフにした寒い車内で、満足するまで待っていてくれたこともある。
「天体観測をしよう」と、
突然望遠鏡をプレゼントしてくれたこともあった。
BUMPが好きな私にとって、オーイエーアーハーンな出来事の一つ。
そんな祖父は山荘を持っていて、その理由もとびっきりロマンチックだった。
実は祖父のその山荘は、奥さん(私の祖母)のために建てられたものだった。
『老後は二人で山でのんびり過ごしたい』
そんな奥さんとの約束を、祖父は果たそうとしたのだが、祖母は私が産まれてすぐに亡くなってしまい、その夢は叶うことはなかった。
大人になり、そんな祖父の素敵な思いが詰まった山荘だと知ってからは、
私は山荘をますます魅力的に感じ、毎年祖父と二人で山荘に泊まるようになった。
テレビもゲームもない部屋で二人でお酒を交わしながら祖父の昔話を聞く時間や、夜空に肉眼で見る天の川、マイナスイオンに囲まれたあの空間がすごく好きだった。
(実は、この毎年恒例行事を続けられなくなることが、オーストラリアに来る最大のネックだった)
今回は、そんな大好きな祖父との恒例行事にゲスト参加した
奇天烈じいさん、ヤスオについてのお話。
「ねえ、おじいちゃん。今度山に行く時に友達を連れていってもいい?」
その年、いつもは二人で行く山荘に、私の友人を誘ってみた。
祖父は喜んでOKしてくれた。
ところが数日後、
『この前友達を連れてくると言っていたが…』
と祖父から電話がかかってきた。
「そうだけど。どうしたの?」
『あのな・・・おじいさんも、トモダチを連れて行っていいか??』
なぜか祖父は少しモジモジしていた。
おじいちゃん・・・照れてる?
まさか・・女の人?
孫に恋人を紹介します的な???
少し心構えをして、
どんな人?と尋ねると
『前の会社の人。よく昔一緒に行ってたんだわ』
と言った。
祖父はあろうことか、
ダブルデート的な要素を気にしたっぽかった。
ちなみにその当時、私は20代後半で祖父は70代後半。
何か起きるならそちらの方が気になるし見てみたいと私は思った。
【あいの里~山荘で一泊二日編~】的な。
「大丈夫だよ。運転は私がするし、友達と交代で行くからおじいちゃんは友達とのんびりしてて。」
そう言うと祖父は安心したようだったが、続けて
『そのことなんだけど…実はもう一人の友人が車酔いする人で、自分で運転したい人なんだ』
と言った。
これにはすごく動揺した。
高齢ドライバーはそれだけでリスキーだし
私が住んでいるところから目的地までは3時間以上かかる。
とてもじゃないけど任せられない。
私は全力でスルーした。
そして当日、祖父を迎えに行ってからヤスオを迎えに行く途中、
「どうして急にヤスオを誘ったの?」
と聞いてみた。
『前からまた行きたいと話していたんだけど、ヤッさんは免許を返してしまったから・・
それで、ヤッさんと山に行くことを話したら、大橋さんも行きたいと言い出してな。
いつもはお前と二人でアレだけど、今回お前が友達を呼ぶと言ったから声をかけてみたんだよ』
’’アレ’’にすべてが詰まっていて、みなまで言わない祖父にキュンだった。
ちなみに大橋さんはのちに登場するもう一人の老人で、
祖父ですら’’大橋さん’’と呼ぶような、そんな人。
’’ヤっさん’’はヤスオのことで、ここではずっと呼び捨てだが、一応本人にはさん付けをしていた。
そんなこんなでヤスオの家に着くと、
ヤスオは迎えに行くと伝えていたにも関わらず家の前をふらふらしていて、なんとなくイメージ通りだなと思った。
そしてヤスオを乗せた後、今度は大橋さんの元へと向かった。
インターホンを鳴らすと、しっかりと準備万端の大橋さんが迎えてくれた。
後から奥様も出てきて、
「老人ばかりの相手で大変でしょうけど、お願いしますね」
と言って、私たちに手土産をくれた。
ちなみに私は介護士をしていたし、私の友人も病院勤務なので老人の相手は慣れっこだ。
しかしそう言ったジョーク?は大橋一家には通じ無さそうと察し、何も言わないでおいた。
そして車を走らせてから数十分後。
いつもは下道で行くから今回は高速道路を使おうと言い出したばっかりに、
しっかり渋滞にはまってしまった。
『ほら。だから国道の方がいいと言ったのに』
見かねた後部座席の祖父から、ヤジが飛んできた。
図星だったが、私が何も応えないでいると
『・・・遅いねえ。まいったな。』と、大橋さんもそれに続いた。
ええ・・・あなたに言われる筋合いないんですけど・・・
こういう時、ヤスオは意外と静かなんだなと思い、バックミラーでヤスオの方を見ると
ヤスオは遠くをぼんやり見つめたり、たまに目を瞑ったりしていた。
まどろんでいるだけだった。
ようやく車が進み1時間ほど走らせた後、最初の目的地のスーパーに到着した。
別荘の周辺はほとんど何もないので、その日の夕食、翌日の朝食の買い出しをすることにした。
『好きなもの買えばいいよ』
祖父は私たちに任せると言ってくれたので、簡単にホットプレートで焼肉をしようということになった。
次々と野菜や肉をカゴに入れて行く中、別の場所からたくさんのお惣菜を連れてくるヤスオ。
カゴの中が唐揚げやゲソ唐などの茶色の食材で埋まりそうだったので、慌てて枝豆など緑のものを追加した。
一方大橋さんはと言うと、
「山荘に調味料は残っていますか?」と一言。
『どうかなぁ。覚えとらん』と会話する祖父の背後から、
ホクホクと鬼殺し1Lを抱えてきたヤスオを見て、
トリオはいつもこの構成だよなと思った。(知らんけど)
そしてさらに車を走らせること一時間半。
次の道の駅で、トイレ休憩も兼ねて昼食をとることにした。
先にトイレを済ませた私と友人は、レストランで5人分の席を確保した。
後から祖父と大橋さんが入店し、私たちは席へと導いた。
・・・が、ヤスオがいない。
「おじいちゃん、ヤスオは?」
『トイレから出た時からいないんだわ』
そこから5分、そんなに広くない道の駅でヤスオを捜索するハメになった。
ヤスオは結構耳が遠いので、バイブレーションにしている携帯の着信に気づく訳がなかった。
携帯電話をこれほど無意味に感じたことはなかった。
ようやくヤスオらしい小さな影を見つけ、
「ヤスオ(さん)!!!!みんなレストランで待ってますよ!!!!!!」
と、結構デカめの声で呼び止めると、
ヤスオは振り向き、満面の笑みを見せて
『栗!買っとってん』
と、ニカッ!と笑った。
そうしてなんやかんやで山荘に着いた私たちは、さっそく車から荷物を降ろした。
実は道中他にも
【ノールック車道またぎヤスオ】の相手をしたりしていたので、
「着いたら、先に荷物を降ろして、全部の元栓を開けて水の流れを作ったり、色々やることがあるんで!!」
と、車を降りる前から念を押しておいた。
が。
ヤスオを除いた全員が山荘のライフラインを整える最中、ヤスオただ一人だけ黙々とホットプレートを取り出し、食事の準備を始めていた。
もう相手するのも面倒だったのでそのまま放置していたが、
お肉を焼いているホットプレートにゲソ唐をぶち込んだ時にはさすがに
「ちょっと!!!」
と言ってしまった。
ヤスオはまたニカッ!!と笑っていた。
実は道の駅で遭難中、
私たちへのお土産を買ってくれていたという優しい一面を持ち合わせているヤスオなので
なんだか憎めず、この時までは、やれやれ…という気持ちでいっぱいだった。
そして、次の日。
朝、目を覚ますとヤスオがいなかった。
大橋さんに尋ねると、『散歩に出かけたよ』とのこと。
実はヤスオはハードウォーカーらしく、歩くのが大好きだった。
昨夜の飲み会(?)でも、サトシ並にコレクションしてある【歩く会】の参加賞のジムバッジ(ピンバッチ)を、帽子にぐるりと付けているのを自慢気に見せてくれた。
80歳には見えない脚力はそのおかげなんだなと思った。
ちなみに大橋さんはと言うと、いかにもらしく将棋や俳句を趣味にしていた。
礼儀正しく丁寧で、清潔な感じの印象だった大橋さんだったが、
私は苦手だった。
その理由は、前日の夕食中。
私が
「ご飯(白米)いりますか?」と尋ねると
『お酒と米が一緒に食べられる訳がないでしょう。
もちろんお酒の後に食べるに決まっていますよ。
付け合わせはありますよね?』
と、めちゃくちゃ亭主関白してきたのだ。
ちなみにこの文章、めちゃくちゃハリソン山中っぽいけど、ほんとにあんな感じ。
めちゃくちゃゆっくり、正論(たまに嫌味)言う感じ。
話を戻すと、【酒を飲みながら米は食わない】論は
人によるだろと思ったので
「そうなんですね…味噌汁しかありませんけど」と言うと
『味噌汁はおかずになりませんね。
何かないんですか?おかずになりそうな、何か。』
とハリソンは言った。
味噌汁は邪道なのかと思い、お酒のつまみ用に買っておいた漬物を見せると、
ハリソンは
「それなら良いでしょう」と、納得したような顔をした。
もしかしたら指を組んでいたのかもしれない。
私が瀧だったら
「もう味噌汁でええでしょう!」と言っていたと思う。
そのくらい、ちょっと嫌だなと思っていた。
しばらくして祖父も起きてきて、みんなで朝食を食べようとなったが、それでもヤスオは戻ってこなかった。
「大橋さん、ヤスオって何時くらいから散歩いってるんですか?」
『私が起きたくらいに外に出る音が聞こえたから…7時くらいかなぁ』
さすがのハードウォーカーヤスオでも、一時間は歩きすぎだろと思ったので、友人と一緒にヤスオを捜索することにした。
エピソード1にして、二度目の失踪。
窓を全開にし、車を蛇足運転しながらヤスオの名を叫びながら探す。
「ヤスオーー!!!!おーい!!!ヤッさん!!!どこー!!!!」
途中、他の別荘に来ている人に声をかけてみたが、皆
【小さい老人は見なかった】との返答だった。
「もしかしてどっかで転んで動けなくなっているのかも…」
などと思ったら怖くて、溝や崖の下、岩場、茂みの中も、
とにかく必死に、くまなく探した。
それでもヤスオは見つからなかった。
山荘では祖父がヤスオの携帯に電話をかけ続け、
大橋さんは、別荘から徒歩圏内の道や林の中を探し続けてくれていた。
もうバカンスどころではなかった。
こんなスリリングな旅行、中々無い。
でもとにかく、無事で居てくれたらいいなと思っていた。
捜索開始から30分経ち、見つからないヤスオにどんどん不安が募った私たちは、一旦山荘に戻ることにした。
「散々探したけどいなかった…どうしよう。警察に言った方がいいかな。」
『もう一度、管理会社に電話してみよう』
祖父がそう言って電話をかけようとしたところで、インターホンが鳴った。
『さっきおじいさん探しているって聞いて、もしかしたらと思って』
ドアの前には山荘の麓にある管理会社の人が立っていた。
『あの後、管理会社に尋ねてきたんですよ。帰れなくなったって言うんで、さっきの探してた人かな~って思って』
そう続けて話す彼の後ろから、ヤスオがひょっこり顔を出した。
『『「やっさん!!!!」』』
なんとヤスオは、自ら出頭していたのだ。
皆で歓喜の声をあげると、
ヤスオは申し訳ないような、恥ずかしいような笑みを浮かべていた。
そんなこんなで、大迷惑をかけたヤスオは、その後とても大人しくなり、
帰り道に寄った道の駅では私たちの傍を離れなかったし、歩き疲れたのか、帰りの車内では赤ちゃんのようにぐっすり眠っていた。
そして旅が終わり。
迎えに来た母が、私の荷物の中に祖父の物が混じっていることに気づき、代わりに祖父の元へ届けてくれた。
「届けてくれてありがとう。大丈夫だった?」
私がそう聞くと、母はなぜかニヤついて
『大丈夫だったけど、あんたヤスオの相手大変だったでしょ』
と言った。
母まで呼び捨てのヤスオ。
「なんでわかるの?」
『だっておじいちゃんのところに行ったら、ヤスオに
『さっきはありがとうな』って言われたもん』
・・・私は最後までヤスオに認知されていなかった。
そんな愛おしい存在のヤスオだったが、
今年に入り、祖父からガンで亡くなってしまったことを聞いた。
大変な思い出だったけど、もう会えないと思うとやっぱり寂しくて。
奇天烈な人だったけど、一緒の思い出を作れて本当に良かったと思う。
また会おうね、ヤスオさん!!!