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ラジオキャスターや披露宴司会、調理アシスタントなどを経て保育士に。多彩なキャリアと実直な姿勢が仕事を繋ぐ~WillとCanの交差点 第03回

「やりたいこと」だけでは食べていけない。「できること」だけでは満足できない。フリーランスとして長く働き続けるには、「やりたいこと(Will)」と「できること(Can)」の重なり、いわば「WillとCanの交差点」を見つけ、伸ばしていくことがとても大切です。
 
本連載ではCanを活かしながら、Willとの重なりを広げていく人を紹介。今回ご登場いただくのは、ラジオキャスターやイベント司会、撮影スタジオのスタッフや料理研究家のアシスタントなどさまざまな仕事を経験し、現在は保育園で働く佐原幸子さんです。司会に料理、事務、保育など多彩なタグを身につけてきた佐原さんは、どのようにして、できることとやりたいことを伸ばしてきたのでしょうか。仕事に向き合う姿勢には、フリーランスとして参考にしたいことがたくさん詰まっていました。

人とのつながりからさまざまな仕事に巡り合う

佐原幸子さん。短大卒業後、幼稚園教諭に。2年間の勤務ののち、TBSラジオのキャスターに転身。情報番組、トーク番組、交通情報のアナウンスなどを担当する。その後、キッチンスタジオ勤務をへて、フリーランスに。ショッピング番組のキャスター、司会業などで活躍。2019年より保育士に。現在、ぬくもりのおうち保育株式会社にて、主任保育士を務める。

佐原幸子さんのキャリアは、実に多彩です。短大卒業後、幼稚園教諭として2年間働いたのち、TBSラジオのキャスターに。ラジオ番組の中継キャスターやアシスタント、交通情報のアナウンス、コマーシャルのナレーションなど、さまざまな喋る仕事に携わってきました。
 
「母がTBSラジオの大ファンで、新聞のキャスター募集の広告を見てすすめられたのがきっかけです。もともと人前で喋ることは好きだったので、迷わず応募しました。入社してすぐにラジオ番組の中継キャスターに。甲子園のリポートをはじめ、バンジージャンプやスカイダイビング、わかさぎ釣りをしながらの中継など、日本全国、ときには海外に行き、いろいろな経験をさせてもらいました」

TBSラジオ時代、取材先でのひとコマ。

ラジオ局で7年間勤務した佐原さんは、キッチンスタジオに転職します。キャスターという表に出る仕事から一転して、裏方として支える仕事に。スタジオのスタッフとして、事務仕事や撮影のサポートなどを行いました。
 
「スタジオを利用する編集者や料理研究家のかたとの出会いから、新たな仕事が広がったことも。たとえば、とある編集の方が私の声をラジオで聴いて覚えていてくださり、テレビの仕事を紹介してくださったこともありました。また、スタジオスタッフとしての働きぶりが目に留まったのか、ある料理家さんから『アシスタントやらない?』とスカウトされたことも。料理はまったくの素人でしたが、必要とされているなら頑張ろう、と思い切って挑戦。初めての挑戦には不安もつきものですが、できることが増えることのほうがうれしかった! せっかくなら頑張ろう、楽しもうと思ってチャレンジしていました」
 
今現在の“できること(Can)“にこだわりすぎず、新しいチャレンジを重ねて、Canをさらに増やしていった佐原さん。
 
「新しいことを覚えるって単純におもしろいし、できることが増えるって楽しい。せっかく機会があるのだから、全力で取り組んで自分のものにしたいという思いがありました」

フリーランスとして仕事の幅を広げていく

スタジオで働き、ときに料理研究家のアシスタントをこなしていた佐原さん。週末には、キャスター時代から続けていた、披露宴やイベントの司会の仕事が入ることも多く、休みなしの毎日でした。30才で結婚後、少しゆったり過ごそうと4年勤務したスタジオを退社。フリーランスになります。
 
「でも生来の貧乏性のせいで、ゆったりするどころか、あれこれ手を出しちゃって(笑)」

そう苦笑するように、フリーランスになってからの数年は、クッキングスクールのインストラクター、パン屋のインテリアコーディネートなど、仕事の幅がどんどん広がった時期でもありました。
「佐原さんって、料理家のアシスタントしてたんですよね? 料理の講師、できます?」
「佐原さんって、キッチンスタジオで働いていたんですよね? スタイリングとかディスプレイもできるんじゃないですか?」
 
声をかけられたら、NOとは言わないのが佐原さん。
 
やってみて、自分のものになったらお得では?という感じでしょうか。働きながら新しいことを覚え、その世界で『すごい!』と言われたい。ひとつでもできるようになったら、別の場所でも役立てられる。せっかく働くなら得したいという思いですね」
 
その後、33歳で第一子を出産。産後まもない佐原さんに、新たな転機が訪れます。ラジオ時代の知人の推薦で、ラジオのショッピング番組のキャスターに声がかかったのです。

「上の子がまだ生後2カ月のころ、ラジオ局時代の仲間から突然連絡がありました。ラジオショッピングのレギュラー枠が空き、後任を探していたそうで、私を思い出してくださったようです。直感は『やってみたい!』という気持ち。でも、生放送でスタジオは家から遠く、子どもはまだ保育園に預けられない時期。大変なことが多く迷いましたが、夫と両家の協力を得て、仕事を受けることを決めました。その後、息子は5カ月で保育園に入園。保育園が決まってからは、保育士さんの存在がとても心強かったですね」

生活家電やキッチン用品などのショッピングキャスターとしても活躍。

ラジオショッピングは、暮らしに役立つさまざまな商品を紹介する番組です。ラジオキャスター時代の経験はもちろん、キッチンスタジオ勤務や調理アシスタントの経験も生きたと佐原さんは振り返ります。
料理関連の仕事経験を買われて、別のテレビ番組でのキッチンアドバイザーとしての出演も本格的に始まりました。 
このほか、単発での名古屋や大阪のテレビ番組や、企業から直接、商品紹介のキャスターに指名されるなど、フリーランスとして仕事の幅はどんどん広がっていきました。

50歳で仕事を変え、保育士に

フリーランスでショッピング番組のキャスターや司会業に携わる傍ら、家庭では2人のお子さんの学校行事や習い事の送迎に全力投球していた佐原さん。
充実した毎日を送る一方で、フリーランスで仕事を続けていけるか、悩みはじめたといいます。

子どもたちが幼いころは、ラジオの収録スタジオに連れていったことも。

「レギュラーの番組は終了し、ラジオやテレビの仕事は単発依頼のものが中心に。仕事の予定はかなり不定期になっていました。また、披露宴の司会は、式も打ち合わせも土日に偏りがちです。仕事は楽しい一方で、今しかできない親としての役割もまっとうしたいという気持ちも強くなって、迷いも多い時期でしたね。勉強や習い事のサポートもしてあげたいし、子どもたちが学校に行っている平日に仕事を入れて、土日を家族の時間に使えたらと思うようになっていったんです。また、子どもの習い事での出費が多く、収入に波のあるフリーランスより、定期収入を確保できる働き方にシフトしたいと考えるようになりました」 

そんなときにふと佐原さんの脳裏に浮かんだのが、保育の仕事です。幼稚園教諭としてキャリアをスタートし、専門的な知識も持つ佐原さん。母となり、子育てに奮闘するなかで、子どもの健やかな育ちは常に関心事でした。 

「保育園に預けられなかったら、とても生放送のショッピング番組のキャスターは続けられませんでした。朝早い時間に預けに行くと、保育士さんが『大丈夫ですよ〜行ってらっしゃい!』と笑顔で送り出してくれて。そんな保育士さんの存在に助けられたことを思い出したとき、私も働くお母さん、お父さん、そして小さな子どもたちに頼られる存在になりたいと思ったんです。めざすは『佐原先生がいるから大丈夫!』と安心してもらえる保育士!」

 近所の保育園のパート職員ととして、保育の仕事をリスタートしたのは50才のとき。保護者との関わりも多い朝一番のシフトを中心に、勤務を始めました。
パート職員は家庭を持っている人も多いため、日中の勤務の希望者が多い一方で、朝早い時間や夕方は人手が少なくなりがちでした。早朝勤務を買ってでたのは、常に「何をすると自分が役に立てるか」「いま、何が求められているか」を考えてきた佐原さんにとって、当然のことだったのかもしれません。早朝に加えて遅い時間の勤務も担当するようになり、保護者や園児をあたたかく支える存在として力を注いでいったのです。 

さらに、幼稚園教諭時代のピアノの演奏経験や、キャスターで磨いた喋りや司会の技術は、園のイベントなどでも重宝されました。
パート職員として3年間働いたのち、別の保育園で派遣職員として3歳児クラスを担当します。その後、正規職員として4〜5歳、2〜3歳のクラスを受け持ち、2023年から現在の保育園に入職。今年度から主任を務めています。 

「保育士として、子ども一人ひとりの気持ちに寄り添える理想の保育園に出会えたことも幸せ。子どもに我慢を強いなければいけない場面がなくて、手厚く対応できることが、私にとって何よりの喜びです」

重宝がられる人を目指したい

===佐原さんの信念====
・石の上にも3年
・相手を思い、相手の立場に立つ
・一番重宝がられる人を目指す
・「自分に仕事を頼みたいか」の視点で自分の働き方を振り返る
・培った経験を惜しまず出す
===========

50才からのキャリアチェンジを振り返って、「すごく鍛えられた」と佐原さん。大変なことがあっても、「3年は続けよう」という思いで頑張ってきたといいます。
 
「どうせやるならいちばんになりたいから、そうするとやっぱり石の上にも3年なんですよね。3年働けば、いいことだけじゃなく、苦しいことも大変なことも学べます。これは正社員、パート、フリーランス、どんな働き方でも同じでしたね」
 
佐原さんの言う「いちばん」とは、売上げや成績のトップを目指すことではなく、みんなに重宝がられること、いちばん必要だと思われることです。自分の仕事を評価する基準は「自分に頼みたいと思えるか」。常に自分の仕事振りを客観視し、自問自答をしながら仕事にあたる姿勢が、さまざまな場所から声のかかる人へと佐原さんを育ててきたのでしょう。
 
「根っこは『どうせやるなら得をしたい』っていう貧乏根性なんですよ(笑)。でも、そうやって目の前の仕事に根気よく向き合った結果、別の仕事に誘われたり、人を紹介されたりして、新しい世界がひらけていったのは幸せなことでしたね」

「本気の想像力」が仕事の質を高める

経験のないことや慣れない業務でも、真剣に向き合うことで、いつの間にかWill(やりたいこと)となり、Can(できること)が育まれていった佐原さんのキャリアストーリー。佐原さんのように「紹介したくなる存在」になるためには、何が必要なのでしょうか。
 
「ラジオキャスター時代に教えてもらって印象に残っているのが、『誰か一人に語りかけるように話せ』という言葉です。スピーカーの向こうで聴いている“ただひとり”を想像し、その人に語りかけるように話すことで、結果的に多くの視聴者に伝わる。ただ原稿を読むのと、聞いている人をイメージして語りかけるのでは、実際に受け取る印象も違うんです。不思議ですよね」
 
目の前の人や一緒に仕事する人、お客さま、常に相手の立場に立って、想像力を働かせることは、ラジオキャスター時代からの習慣に。また、キャスターとして、各界で活躍する著名人を取材したり、ともに番組制作に当たった経験も、大きな糧となっているそう。
 
「大御所と呼ばれるみなさんは、周囲を本当によく見ていらっしゃるんです。現場でも、スタッフにまで目を配り、声をかけてくださいました。そういう方がいらっしゃると、現場全体が前向きで明るい雰囲気に包まれ、仕事も円滑に進むんですよね。経験の浅い20代のうちに、そうしたプロフェッショナルな方々の仕事ぶりをたくさん目の当たりにできたことは、その後の仕事でも、今の保育の現場でもとても役立っています

番組収録後に、永六輔さんをはじめとする出演者、スタッフと。

どんな時にも相手の視線に立つ仕事ぶりは、保育園で赤ちゃんや小さな子どもたちを相手にするときも一緒です。
 
「たとえば赤ちゃんのおむつ替えだって、ただおむつを新しいものに交換すればいいのかといえば、絶対にそんなことないんです。いきなりズボン脱がされて、おむつを取り替えられたら、赤ちゃんだっていい気分しないはず。でも、目を見て『「おむつ替えるよー』『おしりを拭くからちょっと冷たいよ』と話しかけられたら、きっと安心できるんじゃないかな。そうすればおむつ替えの時間だって、楽しくて心地いいスキンシップになるんです。そう考えてみると、どの場所でも、仕事を「作業」にしないことを意識してきたかな、と思います」

新しいことに臆せず飛び込む勇気。
相手の立場に立って惜しみなく動くサービス精神。
さまざまな仕事で身につけた確かな技術や経験。
ライフステージの変化に合わせて働き方を変化させながらも、いつでもしなやかにWillをCanにつなげてきた佐原さん。
 
「つい最近、勉強を続けてきた骨盤矯正の資格試験に合格して、晴れてセルフ骨盤調整 認定講師に! 産後のお母さんたちって、腰痛などの悩みを抱えがちでしょう?  送迎の合間に、子育ての話を聞きながら、体のケアもできるような場所ができたらいいな、と思って。どうかな? 」
 
「幸子55才、保育園の先生として骨をうずめます」と笑う佐原さんですが、まだまだキャリアの進化は続きそうです。

取材・文/鈴木ゆう子
総合雑誌編集部、住宅編集部などを経て、フリーランスのライターに。犬、住宅、インタビューなどを中心に取材・執筆をしている。
https://x.com/SuzookiYuko

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