【谷根千迷宮 古書キタン(仮)】_終章
(続き)
終章:言の葉の行方
冷たい石の感触が、私を現実へと引き戻した。
目を開けると、そこは神社の本殿―
しかし、普段の神聖な佇まいとは異なる姿だった。壁には古い梵字が刻まれ、無数の蝋燭が不規則な影を投げかけている。そして祭壇の上には、あの禁断の書が開かれていた。
「目覚めましたか」
振り向くと、黒い装束に身を包んだ神宮寺の姿があった。
月光に照らされた彼の表情には、もはや慈愛の色は残っていない。
「儀式は終わりました」彼は告げた。
「あなたは選ばれたのです」
「選ばれた...?」
自分の声が、まるで他人のもののように響く。
「この谷根千の新しい巫女として」神宮寺は静かに言った。
「そして、この土地の永遠の守り手として」
彼は祭壇に置かれた古書を手に取った。
その表紙には、見覚えのない文字が浮かび上がっている。
「この本には全てが記されている」神宮寺の声が響く。
「過去も、未来も、そして...あなたの運命も」
その時、私の中で何かが目覚めた。
記憶の奥底に封印されていた真実が、まるで堰を切ったように溢れ出す。
血に染まった刃物。 倒れ伏す人影。 そして、私の罪――。
「全ては奥早稲田文子の計画でした」神宮寺は続けた。
「彼女は知っていた。あなたが選ばれし者だということを」
「やめなさい!」
突然の声が、本殿に響き渡った。
息を切らした奥早稲田文子が、扉の前に立っていた。
「もうやめるのよ」彼女は叫んだ。
「この儀式は間違っている」
「黙れ」神宮寺の声が低く唸る。
「お前にはもう関係ない」
「違うわ」奥早稲田は一歩前に出た。
「私は気づいたの。この儀式の本当の意味に」
その時、私の中で最後の記憶が蘇った。
あの日、私が振り上げた刃物。 そこから滴り落ちた血。
そして、その血が意味するもの――。
全てが繋がった。
私の罪。
奥早稲田文子の企み。
神宮寺の狂気。
そして、谷根千に眠る古い呪い。
「この本を見なさい」奥早稲田は古書を指さした。
「ここに書かれているのは、呪いではなく、解放への道筋」
しかし、その言葉が意味するものを理解する前に、神宮寺が動いた。
彼の手が、私の喉元に伸びる。 しかし、その指が触れる前に――。
本殿を包んでいた闇が、突然の光に呑み込まれた。
私の意識は、再び深い闇へと沈んでいく。 しかし今度は、違った。 それは終わりではなく、新たな始まりの予感。
最後に見たのは、白い光に照らされた古書の一節。
「言の葉は時を超え、魂は闇を照らす」
そう、これは終わりではない。 真実は、まだこの谷根千のどこかで、 新たな物語の始まりを待っているのだから。
(終わり)