「子どもの居場所づくり」はじめます。

はじめまして。
「フリースペースばうむ」と言います。
「ばうむ」とは、ドイツ語で「樹木」という意味。
ちょっとピンと来ないかもしれませんが、
「バウムクーフェン」
と言えば、何となく連想してもらえるでしょうか?
樹木の年輪のように同心円状の模様が浮き出たあの美味しいドイツのケーキのこと。
そこのバウム(樹木)の部分だけをもらっています。


そして、なんと!
名前をつけた後に気がついたのですが、
日本語でそのまま読むと「場生む(ばうむ)」とも呼べます。
まさに、私たちの活動と見事に一致!
必要としている方のための居場所づくり=場生む
これは、本当に偶然。
仕込みでも何でもありません(^^)


ある時は、ホッとひと息つける木陰のような存在。
またある時は、誰もが目印として集えるシンボルツリーのような存在として、ただあるだけで安心できる心の拠り所のような「子どもの休憩スポット」を作っていきたいと考えています。


大人になれば、ちょっと疲れを感じると、散歩がてらに外でフラフラしてみたり、カフェで休憩や居酒屋でちょい飲み、時には映画を観に行ったりと、工夫次第でいくらでも気分転換できる場所を見つけることができ、また、四六時中外を出歩いていても、誰にとがめられることはありません。


では、子どもたちの立場を考えてみるとどうでしょう?
学校と家庭でのルーティン、そして、宿題や習い事のある日は、それだけで一日が終了していまいます。
また、その中で息抜きできる時間や場所を作るというのも、今の時代なかなか難しいのが現状のようです。
極端に言ってしまうと、ボーっとできる時間すらなく、小さい体なのに大人よりも忙しい日々を過ごしているかもしれません。
子どもたちは、まだ社会的視野も狭いため、心が窮屈になっても自覚することができません。
そして、なにかおかしいと異変に気がついた頃には、すでに心身ともに疲弊しており、学校へ行くエネルギーがすでに枯渇している場合もあります。


エネルギーが切れてしまい、学校に行くことができなくなった子は、頑張り屋さんでとても傷つきやすい子が多いです。
なので、学校に行くことができないことに罪悪感を感じてしまい、最初は一生懸命学校に行こうと努力します。
しかし、その努力とは裏腹に次第に心も体もついて行くことができず、最終的には、学校という社会を自ら一切遮断させることにより、何とか自分自身を守ろうとします。
それが、自分自身でできる精いっぱいの自衛だからです。


文部科学省の調べによると、令和2年度現在、学校に行っていない子どもの数は、全国で196,127人。
8年連続の増加傾向にあり、毎年最多を更新しています。
フリースクールや適応指導教室に通う子もいますが、実際は、ホームスクーリングを含め、自宅で過ごしている子がほとんどのようです。
その中には、平日の日中に少し外へ出たいと思っていても、近所の目が気になってしまったり、誰かにとがめられたりしないかと心配のあまり、外に出るのが怖いと思う子もいます。
もちろん、防犯上で大人の厳しい目があるのは当たり前のこと。
子どもが日中に一人でフラフラ出歩くのは、今の時代、危険と隣り合わせだということも留意しておかなければなりません。


しかし、これほどにまでに学校へ行っていない子どもたちが増え続ける中、「子どもは学校へ行くのが当たり前」という概念は、繊細な子どもたちにとってはあまりにも暴力的であり、まさに時代と逆行としていると同時に、学校自体がすでに子どもたちの安心安全の場ではなく、学校以外の選択肢も考えて行かなければならない時代になってきたとも言えるのではないでしょうか。


だからといって、外へ出ることが必ずしも、いつも「善」ということではないことを最初に断っておきたいと思います。
学校へ行けなくなってしまった子どもたちは、すでに心が傷ついていますので、ますはその傷を癒すことが先決です。
傷を癒す方法は、千差万別。
お家に引きこもって、思う存分好きなことをすることがもしかしたら、外へ出ることよりも回復に繋がる場合だってあります。
一日中ゴロゴロしてボーッとしていたかったのに、一度もしたことがなかったという子どももいるかもしれません。


それでは、いったいどれくらいの時間をかければ回復するのか、そこが親御さんにとっては、とても気になるところではないでしょうか。
ですが、時間はその子その子によって、もちろん違います。
もしかすると、頑張っていた時間が長ければ長いほど、それに比例するかのように長引くこともあるかもしれません。
それだけ、傷ついている時間が長かったわけですから、癒すのに時間を要することもあるからです。

しかし、自分の殻に閉じこもることは、決して悪いことではないと、臨床心理士の河合隼雄氏は言います。
このような心と体がまさに大人になろうとしている時期に、揺れ動く葛藤の時期は「さなぎの時期」と呼ばれています。
以下は、著書の抜粋。

毛虫が蝶になる中間に「さなぎ」になる必要があるように、人間にもある程度「こもる時期」が必要なのである。思春期から青年期にかけて、ほとんどの人に、それは何らかの形でやってくる。何もする気がしない、という形になるときもある。机に向かっているのだが、勉強に少しも身がはいらない、というときもある。あるいは、今まで見向きもしなかった小説を読むことに熱中して、他のことは何もしない、というふうになるときもある。少し成績が下がったなと思うくらいで、両親もそれほど気にしない程度で、この「さなぎ」の時期を超えてゆくのが、大半の子どもたちである。そのような「さなぎ」状態が他の子どもよりもきつい形であらわれてくると、不登校になり、文字通り部屋にこもるようになる。このようなときに、一番大切なことは、それを尊重して「待つ」ことであろう。ときが来れば、必ず出てくるし、その時の遅れなど必ず取り戻せるのである。ただ、その間に希望を失わずに待つことは難しいことである。しかし、それが一番いい「処方箋」なのである。

河合隼雄「子どもと学校」


蝶になる前の「さなぎの時期」は、生きているのか死んでいるのか外には全くわからないけれど、中では変容に向けて大きな準備が始まっています。
ですが、その大事な時期に一生懸命被っている殻を無理やり引っぺがし、さなぎを解剖してしまうと死んでしまいます。
なので思春期の「さなぎの時期」は、大人はとても不安だけれど、出てくるまで辛抱強くジッと待つことしかできないのかもしれません。
大人にとっても試練の時期とも言えます。
しかし、いつ羽化して出てきてもいいように、本人にとって安全で安心できる環境を整えてあげることが唯一周りの大人ができることなのかもしれません。
そして、充分にこもらせてもらえ、包まれた経験を経ることで、ようやく次に出立へ向かっていけるのだと思います。
冬が来れば、必ず春が来るように、さなぎになれば、必ず蝶になって現れると信じて。

いつか羽化し始めた時(外に出ようと前向きになった時)、子どもたちを両手を広げて大歓迎される場がひとつでも多く増えればいいなと思っています。
子どもたちが、周りの目を気にせず、堂々と日中でも行ける自分の居場所。
学校に疲れた日や、外に出るきっかけづくり、また学校には行けないけれど、ここには行ってみようかなと思ってもらえる「自分はここにいていい」と安心してもらえるいつでもウエルカムな居場所。
そんな場所を作りたいと思い、このたび「子どもの居場所づくり」を始めることにしました。


しかし、外に出られるようになると、今度は、学校にいつ復帰すればいいのかいう問題が親御さんの中で浮上してくるかもしれません。
ですが、その後の人生の主導権はあくまでも当事者である子ども自身が持っています。
学校に前向きに行けるようになる子もいれば、そのまま現状維持の子もいます。学校へ行けるようになるのは、子ども自ら選択した結果のひとつに過ぎません。
ですので「フリースペースばうむ」は、基本、学校へ復帰することをゴールとした目的で作っていません。
心と体の健康を取り戻したあと、その子がその子らしい最善の選択ができ、また周りもその選択を尊重でき祝福してあげられることが、子どもたちにとっての最初のゴールであり、新たなスタートだと思うからです。


いつか学校以外にも子どもの居場所があることが当たり前の概念となり、子どもたちがその時々で過ごしたい場所を選択しながら、地域の人たちもこどもたちもみんながイキイキと学び合いながら育ち合える、そんな時代もそう遠くはないような気がします。
まずは、外に出ようと思えた時に、この場所を候補のひとつにしてもらえることが目標です!


子どもたちが主体の、安心して過ごせる居場所。
それが「フリースペースばうむ」です。
フリースペースはまだまだ認知度が低いですが、子ども食堂、無料支援塾と同じくらい必要とされている場です。
そして、地域の方々の温かなまさざしも必要不可欠です。
子どもたち一人一人がかけがえのない存在として大切にされ尊重される場所、そして、保護者の方も安心して心を開ける場所づくりも考えています。
私たち大人もまた、一人一人がかけがえのない存在なのです。

これから、どうぞよろしくお願いいたします。








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