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闘病記(65) 塵も積もれば山となり、埃のような些細な出来事の積み重ねが誇りの獲得につながる。

 リハビリ病院の朝は静かにやってきて、にわかに活気づく。起床の時刻とともに、それぞれの患者の「朝のルーティーン」が始まるからだ。
患者達のルーティーンが頭に入っているらしい看護師、介護福祉士の皆さんは、決して多いとは言えない人数で病棟を担当しているのに、流れる水のようにスムーズにサポートをしていく。
 着替えをしていて、うまく動かない右腕が服の袖に入らないでいると、
「赤松さん、すぐそっちに行ってやってあげるからちょっと待っててね。」
と、斜め前のベッドに座ったおじいちゃんの着替えを一緒にしている介護福祉士さんから声がかかる。

仕上がってきた洗濯物のタオルを折りたたみ、どうやっても揃わない四隅は見なかったことにしてベッドから少し離れた引き出しに整理しようとするが、うまくできない。そうすると、タイミングよく声がかかる。
「赤松さん、それ難しいよね?やってあげるよ。(笑)」

病室を出て、食堂で朝食を前に座っている時も似たようなことが起こる。
回復期病棟においては、食事の際にナイロンのエプロンを着用するのだが、時々これが外れてしまう。首の後ろに手を回し、自分で何とかマジックテープを留めようと苦戦していると、素早くスタッフの方の手が伸びて着用させてくれる。
「すみません。」
と頭を下げると、笑顔で、
「どういたしまして。困った時は何でも言ってね。やってあげるから。」
と、歯切れよく気持ちの良い言葉が返ってくる。

 と、ここまで読み進めてくださった人の中には、何かしらの「違和感」のようなものを感じた方もいらっしゃることと思う。
 そう。病院のスタッフの方は決してこのような(ここまでに書いてきたような)声かけや、対応をする事は無い。
「やってあげる。」
などと言う事は無かった。

 患者が自分で何かをしようとしてうまくいかないでいると

「手伝いましょうか? (手伝おうか?)」

と、声をかけてくれる。ベッドや車椅子に座っている患者と同じ目線の高さまで腰をかがめて。ときには、膝まずいて患者を少し見上げるような感じで。
「手を貸して欲しい。」
と頼むと、困っていることに対して必要十分なだけ力を貸してくれる。(行動の最後は患者自身が行えるように仕向けてくれる。)
「ありがとう。大丈夫。」
と応じると、
「じゃあ、何かあったらまた声かけてください。」
と、笑顔でその場を離れる。もちろん、患者を1人にしておけないと判断した場合や、医療的な処置が緊急に必要な場合などはこの限りでは無い。
 自分はこの「手伝いましょうか?」と言う表現に随分と助けられた。救われたと言っても良い。

 何も考えなくても簡単にできていたことが人の助けを借りないとできなくなると、自分はどんどん卑屈になった。卑屈になって己自身を恥じ、「何もしなければいいじゃないか。そうすれば誰の助けも借りなくていい。」と言う極端な考え方をしていじけていた。耐えかねていたのだ。日々新たに発見しては、濡れた毛布のように積み重なっていく「自分自身の力ではもうできなくなってしまったこと。」の重さに。
 「手伝いましょうか?」と言う言葉と、スタッフの皆さんの晴れやかな笑顔は、「どんなに力を借りようと、行動の主体は自分自身だ。主役は自分なのだ。」ということを、実に爽やかに再認識させてくれた。きっと、他にもたくさん同じようなことがあったのだと思う。「配慮」という言葉で片付けてしまうには尊い、患者たちを思う光の粒子のような日々の営みが。

 脳出血を患ってから、5年が経過しようとしている。自分に降りかかった運命を受け入れる事は未だできていないが、どうにか受け止めることができた。入院していた日々と、この5年間の辛さや苦しさは、思い出のフィルターに濾過されてしまったようで、ほとんど思い出すことがなくなった。
 時折目を閉じて、5年後、10年後の自分の姿を想像することがある。なぜかわからないが、幸せそうだ。以前は未来の自分の姿など考えたこともなかった。

 たくさんの光の粒子に守られながら、きっと自分は快方に向かっているのだ。
 
  



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