目に見えないもの、大切にしていますか?
目には見えないものから
大切な何かを感じて受けとる。
こんなことを言うと、
ちょっとスピリチュアルなことのように
聞こえるかもしれませんね。
でも、
いつも僕が大切にしていることなんです。
目に見えるものだけを信じて眺めるよりも、
見えないことから何かを感じていくことにこそ
毎日を豊かに過ごしていけるヒントがあると思うんです。
✳︎ ✳︎ ✳︎
僕がまだ、
小学生時代のころの話です。
金融を生業にしていた父は、
まだお金のこともよくわからない僕に、
モノの価値や経済についての話をしてくれました。
ある時、父が僕の前に
一個のりんごを差し出したんです。
「このりんご、いくらだと思う?」
当時、りんごといえば、
家の裏山に行けばいくらでも実っていました。
僕にとって、りんごは買うものなのではなく、
いつも身近にある食べものだったんです。
「300円もの価値があるんだよ」
見た目もさほど変わらないのに、
なんで300円もの価値が付いているりんごが
世の中に存在するのかが、
当時の僕にはまったく理解できなかったんですね。
「一口ほおばってごらん」
父のその一言に、
ひとかじりしてみる。
すると、驚いたことに
今まで食べてきたりんごとは
まるで違う優しい味がするんですね。
見た目は、
いつも食べているりんごと変わりない。
それなのに、
何かが違う、一つのりんご。
✳︎ ✳︎ ✳︎
そして父は、そのりんごを片手に、
目では見えない価値を、
僕に語ってくれたんです。
「そのりんごはね、ここに辿りつくまでに
色々な人の思いを受け止めて運ばれてきてるんだ。」
「土を育てる人や、りんごの木を育てた人、
収穫する人もいれば、それを運んでくれる人だっている」
「だからこそそれだけの価値が付いているんだよ」
「なによりもそれは、
その優しい味にあらわれているだろう?」
思えば、それまでの僕は
目に見えるものばかりを信じてきました。
綺麗なものを、ただ綺麗だと信じ、
汚いものを、ただ汚いものだとして避けてきました。
父が差し出してくれたりんごを通じて、
目には見えない「ものの価値」というものが
世の中に存在するという事実に、
ただただ感動していた記憶があります。
世の中には目で見てわかるものと、
そうでないものがある。
そして、目に見えないところにこそ、
大切な何かが隠れている。
✳︎ ✳︎ ✳︎
今思えば、
僕の家族は、目に見えないものを
大切にする人たちでした。
学生時代、学校から帰宅すると、、
祖父はよく「おかえり」と言って、
一杯の水を僕に差し出してくれたんです。
見た目は、なんてことない
透き通ったグラス一杯の水。
でも、祖父が入れてくれる一杯の水は、
どれだけ無色透明でも、
「ただの水」ではないんですね。
茶室の釜で、炭の熱によって丁寧に沸かされて、
そこから更に時間をかけて冷ました
手間のかかった、まろやかな一杯なんです。
見た目は透明だけれど、
そこには祖父なりの優しさが、
見えずとも感じられました。
祖父は一杯の水で
目では見えない何かを
僕に伝えようとしてくれていたのかもしれません。
✳︎ ✳︎ ✳︎
目に見えるものばかりを
信じてはいないだろうか?
見えないところから、
大切な「何か」を感じていきたい。
いつもそう自問自答しながら、
日常と向き合っています。
何もかもが、
一目でわかりやすくなってしまった時代に、
僕たちは生きていますが、
それだけでは何かが足りないと思うんですね。
見えないものを感じられる人になりたい。
そのおもいは、
いつまでも大切にしていきたいと思うんです。