幸福日和 #095「言葉のアルバム」
人には誰にでも
「お気に入りのコレクション」なるものが
あるのだと思う。
それはたとえばモノでなくても、
思い出だとか音楽とか。
目には見えないものだからこそ、
いつでも引き出せるし、
身近に触れていられる。
僕にとっては記憶に残った「言葉」が
それに近いものかもしれません。
人から言われた悪い言葉は
いつまでも覚えているものだけれど、
大切な言葉ほど、簡単に日常の記憶の中からこぼれ落ちてしまうもの。
だから、そうした言葉の一つ一つを
自分の大切なアルバムにしまっておかなければと
いつも思っているんです。
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そんな僕が大切にしている
「言葉のアルバム」があります。
聞こえはいいけれど、
なんてことない、見た目はただの革張りの手帳。
その中には、
僕が物心ついた時から今日までの
日常を支えてきてくれた
言葉の数々が詰まってるんですね。
記憶を辿れば、
「言葉のアルバム」の一ページ目に刻まれた
一番古い言葉は小学校時代にまでさかのぼります。
不登校だった僕に担任の先生が
毎朝、自宅の玄関で投げかけてくれた言葉。
「無理して学校に行かなくてもいいよ、
でも昨日より一歩だけ遠くに出てみない?」
「そしたらまた家に戻ればいい。少しづつでいいんだから。」
幼少期にかけられたあの言葉に、
今でも励まされることがあるんです。
大きな一歩は必要ない。
小さな一歩を積み重ねられてきたのは
あの時の言葉があったから。
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また年を重ね、
別のある時には、故郷の茶室で、
祖父にお茶を点ててもらいながら教えてもらった言葉が
今の僕と他者とを繋げてくれています。
「この人とは、もう最後かもしれない」
「そう思いながら、今日出会う一人一人と接してごらん、
日常の見え方がまるで変わるから」
「それが一期一会なんだよ」
そのほかにも、
会社員時代に印象に残った上司の言葉や、
あるカフェで、何気なく耳にした
隣のお客さんの言葉が今の僕を支えていたりするんです。
今日まで出会って、支えてくれた言葉。
そうした一つ一つを、
丁寧に拾い集めて
一冊の手帳に収めてきました。
何回この手帳を開いたかわからないけれど、
革で丁寧に装丁された手帳の表面は、
触れてきた数だけ、優しい輝きを放っているようにも感じます。
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人は何もしていないように見えて
常に何かを経験しています。
何も受け取っていないように思いながらも
大切な何かを受け取っているものです。
昨日も今日も、
もちろん明日だって。
そうした一つ一つを
意識しながらストックするだけで、
いつの日か、悩める自分を救うことだってあるし、
身近な誰かを救うことだってあるのかもしれない。
そんなことを思いながら、
また新しい一ページに、
言葉を一つ加えていゆくんです。