幸福日和 #088「身近なことを整える」
僕の母親は、
「整える」ことが好きな人でした。
玄関の靴も、台所の調味料も、
バスタオルもフェイスタオルも、
すぐ手に取れるように、家族が使いやすいように、
決まった場所に丁寧に置いていました。
几帳面というよりは、
ものを大切にしているんだな。
母の姿を眺めながら
幼ながらにそう感じたものです。
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ある時、
自宅の茶室で祖父が古いお茶碗を
整理していた日のこと。
畳の上に並べられていたのは
十二個の古いお茶碗でした。
一つ一つは違う時代に作られたもので、
その絵付けも、焼かれた窯もそれぞれで
よく見ると、軽やかに飛び回るうさぎや
虎の模様が抽象的に絵付けされているものも。
それは、祖父が地方のお茶会に招待される度に、
窯元や道具屋さんをたずね、
数十年もの時間をかけながら集めた
十二支の描かれた十二個のお茶碗だったんですね。
たしかあれは、
丑年のあるお稽古の時だったと思いますが、
牛の姿が絵付けされたお茶碗で抹茶をいただきながら、
祖父に聞いたんです。
「このお茶碗はこの年にしか使わないの?」と。
「そうだね干支は十二年に一度しか巡ってこないからね」
「でもね、その分、その一年が巡ってくると、
十一年分の思いをこのお茶碗に込められるんだよ」
時間をかけて十二支の茶碗を揃えてきた、
祖父の秘密を垣間見た気がしました。
どれ一つ欠けてはいけないけれど、
足す必要もない。
それは、
祖父なりの時間との向き合い方であり、
時間の整え方のように感じました。
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「整える」ということ。
それは、身近なものを大切にする、
自然な気持ちの現れなのだとおもう。
独りこの島に入る僕は、
周囲の目を気にする必要なんてないけれど、
それでも身近なひとつひとつを揃える時間を
大切にしたいという思いがあります。
例えば、きちんと食器を新い清めて棚に並べる。
そうして純白に輝くひとつひとつを眺めると心が落ち着く。
ワイングラスを窓辺のラックに吊るして、
グラスの先に空が透き通っているのを眺めるのも好きですし、
一冊の本も、本棚におさまっているとなぜだか安心します。
決まった時間に起きて眠りにつき、
一日の数時間はきちんと言葉に向き合う。
そうして時間を整えることも、
この孤島生活を豊かにしていく秘訣。
身近なことを整えること。
誰かに見られるためにではなく、
自分のために。
そうしたことが自然とできる人でありたいと
最近はおもっています。