「信じる」から始めるか「疑う」から始めるか⑤ ~頑張る上司が、部下を潰す~
先日から、「信じる」から始めるか、「疑う」から始めるか。
他人と話をするとき、
この選択を心の中で行っており、
それが言葉遣いとなって表れているのではないかという話をしました。
そこで「疑う」について着目し、
「疑う」言葉遣いだけで良いのかという問いかけをしました。
それに対し疑問を感じ、
「疑う」言葉遣いが自分は多いのはなぜなのか。
そうなってしまう原因の心、
「私、失敗しないので」と思い込んでいる理由について書いています。
前回は、その理由の3つあるうちの2つ目を話しました。
今回は、最後の3つ目を話していきたいと思います。
私には、トラウマになっている言葉があります。
それは「心配」という言葉です。
なぜトラウマになっているのかと言いますと、
親から言われ続けたからです。
私自身にも問題があったと思いますし、
親というのは、子供への思いを捨てられない生き物だというのも分かります。
しかし、私がやる事なす事、すべてに口を出してきて、
私が反論すると、決まって出てくる一言が、
「お前の事を心配して言ってるんだ」。
そう思う気持ちは、ありがたいのですが、
あまりにも多用されるものですから、
この言葉を聞くたびに、私はこう思うようになりました。
「心配しているならば、
何をやっても、何を言っても許されると思っているのか」
決して、今は親を恨んでいる訳ではありませんし、仲良くやっています。
それどころか、こうした出来事のおかげで、
私自身の学びになったので感謝しています。
どんな学びかと言いますと、
「他人のため」という思いが、
「疑う」言葉遣いとなって表れるということです。
親と子供の間だけではなく、
上司と部下の間など、上下関係がある間では起きることだと思います。
決して「他人のため」という思いが、すべて悪いという事ではありません。
しかし、この思いの強さのあまり、
他人の一挙手一投足を監視するかのような態度を取るようになり、
他人が何かおかしな事をやったと思うや否や、
すぐに駆け付けようとする人がいます。
そして、ある意味タチが悪いことに、
こうした人の言葉は一見、攻撃するような言葉遣いではありません。
「他人のため」という思いから出る言葉なので、
ある程度は私の事を思って、私を守ろうとするような言い方になります。
しかし。
「他人のため」という思いの強さのあまり、
「このようにする事が、あなたのためになるはずだ」
「私の言う通りにしないと、あなたは不幸になる」
さぞストーカーのような言動になっていくのです。
「他人のため」という思いには、
他人を支配したいという思いがあると言われています。
つまり、他人が自分の思い通りにならなければ許せないという思いです。
いや、そんな事は思ってやっていないという上司がいたならば。
もし、部下が今日期限の仕事を、
定時ギリギリに「できていません」と言って来られたらどうでしょう。
怒りの感情が湧くことでしょう。
それが、他人が自分の思い通りにならなければ許せないという思いです。
他人が自分の思い通りにならなければ許せないと思うのは、
自分が正しい。
自分が完璧だ。
自分の判断がすべてだ。
そう思っているのです。
「私、失敗しないので」と思い込んでいる心なのです。
だから、私はあなたを「疑う」権利がある。
私はあなたを幸せにできるのだから。
だから「他人のため」に頑張る。
そう思い込んでいるのです。
もし自分が完璧な人間ではないと思ったならば、
「他人のため」と思っている行動1つ1つを、反省しようとします。
私は間違った判断をするかもしれない。
だから、私があなたを不幸にしてしまう事もあるかもしれない。
そうなると、何でもかんでも「疑う」のは間違いだ。
そう思うようになるのです。
もし忘年会の席で、
オレはこんなに部下のために頑張っているのに、
どうして上手くいかないんだと嘆いた方がおられれば、
それは「他人のため」という行動には、
「疑う」という側面があることを知らないからかもしれません。
知らず知らずのうちに部下を「疑う」ことから始めていることに気づいたならば、
本当にオレはそんなに正しい判断ができる人間なのか、
振り返ってみてはいかがでしょうか。
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