カエデ《心情㉕》
乾いた前髪を揺らす秋めいた風
外側からじっくりと侵蝕して
じんわりと滲み出ていく孤独感
皆と、多勢と、世界のCPUと、
同じでないことが怖くて仕方がない。
同じでないということが、
”対等でない”という感覚と一瞬にしてすり変わってしまう。
あの人は勉強を頑張ってる。
あの人はバイトを頑張っている。
あの人は家庭の事情に耐えている。
あの人は人間関係を努力している。
あの人は部活を努力している。
では、僕は?
悲観的な比較はよくないと、得はしないと、頭ではわかっている。
理解してはいるのだ。
僕は比較しなければ価値を見出すことができない人間なのだ。
モノの価値であるだとかそういう視覚的に優劣のはかれるものはそうやって比較することが正しいことなのだと思う。
野菜や果物を新鮮で大きいものを選ぼうとするように。
ただ視覚的に優劣のはかれないものではそういうわけでもない。
長所は短所になるし、
短所は長所になる。
あの人の嫌うあの人が自分にとっては誰よりも波長の合う人かもしれない。
理解ってはいるのだ。
理解ってはいるが、そうやって比較して自分を評価してきたし、
そうやって評価されているのだと思って生きてきた。
そんな悩み
勉強に努力できて、人間関係もそれとなくやって、バイトにも踏み出せて、資格もしっかりとって、
メンタルもしっかりコントロールできて。
ってできるのならなんてことないのだけれど、僕は生憎人より生きるのが上手ではない。
数ヶ月前一大決心をしてつくった前髪が秋風に靡くだけで、立ち止まってしゃがみこんでしまいたくなるくらい寂しくなったり。
8・9年前に転校していった心友を未だに思って毎年届けない手紙を書いたり。
告白して振ってもらった親友に未だに想いを寄せてしまっていたり。
嫌なことが忘れられなかったり。
生憎生きるのが下手なのだ。
秋麗
澄んで高く、背伸びをしたら手を握り返してくれるような、
人生でとは言わずとも性格であったなら。
桜や青梅雨や冬暁と比較なんてせずに錦秋をありったけに褒めることが出来たであろうに。