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【追記】音と言葉とコミュニケーションと 〜#2「対話」について考えたこと(長いです。)

こんばんわ、Karo.です。


今日は昨日描いた、こちらの記事の追記になります。

夕方、無心で掃除機をかけていたら、突然「あぁ〜〜〜!そうか。」という、気づきがありました(笑)。それは昨日描いた記事の中で、なんとなく自分の中で、もやっとしていたのものです。そのもやっ自体が、なんだかわからなかったのですが、クリアになりました。

掃除って、本当に瞑想ですね...(笑)。


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昨日の記事で、とある方との「対話」について描いた部分

私はとても不思議に思いました。その方は、すべては愛でありエネルギーであるということを、以前からお話ししていて、何故、このような激しめな陰謀論的なものをお勧めするのか?
本当に純粋に疑問に感じて、「外側には真実は何もない。真実は自分の内側にしかないと思うのですが、そのへんはどうお考えですか?」ということを率直に聞いてみました。すると「陰謀、冒涜と言われるものの中にこそ、真実は存在すると、ある方から、学びました」というところからはじまり、私信なので引用しませんが、ほとんどの文章が賢人か著名な方の言葉で、文章の語尾に「〜らしい」とか「〜かな」とついています。それらはつまり外側から得た情報なのです。でも、私はそうではなく、その方自身がどう思うのか?どう感じているのか。というご本人の声が聞きたい...。

この相手に問いかけた質問の部分なのですが....。

本当はこれ自分宛の質問だったのだ。と気がつきました。

外側には何もない。すべては自分の内側が映し出している影でそれに例外はないと、アタマの中ではわかっていて、でも自分こそ、これがちゃんと胸(ハート)とお腹(附)に落ちてなくて、細胞に浸透していなかったんだなぁ〜...。と。

つまり相手は関係ないのですよね、自分が感じていた自分への疑問で、それを相手にぶつけて、外から答えをもらおうとしていたような気がしました。「ご本人の声が聞きたい」は、「自分の中の声が聞きい」だったのです。

(....ということで、この「対話」をしてくださっていた方には、早速、今回気がついたことをお伝えして謝罪と感謝をお伝えしました。)

じゃあ、自分の中の声って?と思い、まずは昨日書いた「真実は自分の中にしかない。」「外側には真実は何もない。」ということの意味、実際私はどう理解しているのかな?と思い、もう一度自分に確認するところからはじめました。


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ということで、今回は、今現在この時点の自分が、自分と会話した内観の経緯のシェアになります。そしてあくまでも個人的な内観です。

そしてそして、かなり理屈っぽいのですが、ご容赦ください(苦笑)。

まず、わかりやすい例ではじめました。昨今のコロナやワクチン問題について。私はワクチンは危険だと思っている。それはコロナに限らず全てのワクチンに対して懐疑的な印象があり、人工的なモノを体内に入れるコトは自然ではないと思うからです。また日本の厚生労働省には疑問を感じている点も常々少なからずあるからです。なので、そのような情報を基本的に信じています。

そして、母親や友人たちにそのような情報を一部シェアしたりもしましたが、それって、対話をしていた方が、激しめの陰謀論を送ってきたのとまったく同じことだ。と思ったのです。自分が信じているものを親しい人に送るという行為。私の情報のシェアもワクチンを全面的に信頼している人からしたら「何言っちゃってるの?」って話なわけですよね。そう、それぞれが見ている視点も違うし信じているコトも違うのですもんね。

でも自分が信じていることをちゃんとシェアすることは、こちらの意思を伝えることであり、それは間違ってはいないよね、と思ったのです。受け手がどう感じるかは受け手の自由なので、重要なのはその自由を侵さないということなのだな、と。身近な人(たとえば母親)になればなるほど、ちょっと説得が入ってしまいます。が、何を信じていてもそれは自由なわけです。もっと言えばそれがその人の真実であるわけで、こちらが干渉すべきではないのですよね。本人が何を信じていても、それを尊重すべきであるというのは、私が何を信じていても、尊重されるべき。ということなのですよね。

そして、です。私はこうした外側の、コロナに限らずあらゆる情報の何を信じているか、によって人の「真実」は、それぞれ違う。と、ざくっと思っていました。

あ、これわかりにくいですね。

つまり外側のどの情報を選んで「真実」だと思って生きているか=その人の真実。だと思っていたのです。その人が信じている世界=その人の真実。だから人の数だけ真実があるよね。と思っていたことがわかったのです。が、ここで、あれ?と疑問が出ました。

でも何かを「信じ」て、それを「真実」だと思っている。というのは、「真実」そのものではないよね?その人が信じている情報や道徳や価値観、これはその人が「真実」だと思っているモノではあるけれど、「真実」そのものではない。

そうだった、これが「外側には真実は何もない。」という意味なのだった、と思い出しました。でも、じゃあ「真実は自分の中にしかない。」の、その自分の中にあるという「真実」そのものってなんだっけ?と。


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と、ここで改めて考えました。この3次元で起きていること。外側に見えていることは、例外なく100%全部、自分の内側で起きていること=高次元の影なのだったよね...と。そうだとしたら、じゃあ、私は何故、ワクチンは危険だと思っているのだろう。と自分に聞いてみました。そうしたら「異物を体に入れるのは嫌」と「副作用が怖い」と。さらに聞いていくと、「自己免疫疾患が怖い」→「原因不明の体調不良が怖い」→「日々気分が優れなくなるのは怖い、自由に動けなくなることも怖い」と...。もういろいろ出てきたのですが、深堀りしていってもとにかくとにかく「怖い」というのが出てくる、特に怖いのは「愛する存在を亡くすことへの恐れ」だと思いました。そうわかって「あ。私は怖いんだ」と改めて思いました。

そしてこれ、この「恐れ」、外側で起きていることは関係ないと思ったのです。ワクチンのこともまったく関係ないのです。現実に起きていることは、ただの影なので、この「深いところで感じている気持ち」は意識の世界であり3次元よりも上の次元なのですよね。つまり私は、ただとにかく「怖い」という感情がある。それが先だったのだと思いました。

なので、しばらく怖いって気持ちだけを、ただ味わって感じてみることにしました。

怖い怖い怖い怖い。怖い怖い怖い怖い。怖い怖い怖い怖い。(←くどい)

なにこれ、めっちゃ怖がりなんや〜ん。(何故かここだけ関西弁)

と。この感情に気がついたら、なぜかすごく安心しました。

そうしたら

この感情こそが「真実」かも。と思ったのですよね。

そうして、この今の感情に気がついて、それを受け入れてみたら、そうだ、すべてはオールオーケーで、なにひとつ欠けているものはなくて、このままで全部調和がとれているんだった。という体感を思い出しました。怖がっていても全然オーケーなんです。これ、いわゆる愛の意識、周波数ですよね。

この3次元で何を信じていようが信じていまいが、結局、愛の意識のところではみんな繋がっていてひとつなのだから、これで大丈夫なんだという安心感と信頼感。そして、ふわふわと浮いている情報という塵は、自分からつかみに行っても行かなくても、必要な情報が必要なタイミングで届くのだから、それに委ねていたらいいのだと。ただ愛と信頼のなかで安心していたら、その意識が3次元に投影される、それが真実だった。と、思ったら胸(ハート)がじわぁ〜〜〜っと感じました。(涙)


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そして、あらためて意識の中身を空にするで引用したクリシュナムルティのこれこれ、これでした。

そういう変容、変換を根本的、徹底的に為し遂げるとき、その変換は人間の意識全体に影響を及ぼす。これは絶対的な事実、真実である。
もし人が本当に真摯なら、もし人が世界の現状 ー 世界のひどい悲惨、混乱、不安定な状態、さまざまな宗教や国家間の分裂や戦争、国家の名のもとに戦争を準備し民衆を殺戮するために、膨大な金額を費やして軍備を増強していることなど ー に目を向けるなら、根本的な変容を成し遂げることが極めて重要になる。

そう、根本的な変容を成し遂げることが極めて重要....!結局、いかに周波数を上げた状態を維持するか、に尽きるんですよね。そしてシェアすべきはこの気分、この周波数だった。と。


本当に自分の意識は、次元をいったりきたりしています。昭和のオンナは物質至上主義の時代が長かったので、本当に面倒臭い〜と自分で思います。(笑)


ああ....、そして追記なのに、めちゃめちゃ長くなってしまいました。

最後まで読んでくださった方、本当にどうもありがとうございます。


ではでは、おやすみなさい。今夜も素敵な夢を。








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Kalo
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