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「あなたは何故あなたを赦さないのか」 〜その2 答えはないのだけれど

この記事は、こちら↓の続きです


2月7日、実家へ行きました。

母が最近また足の痛みが増したというので、クリスタルボウルをもっていくことにして、ケースに4つのクリスタルボウルを入れていました。
父と兄の仏前に供える和菓子を途中で買って、電車でむかいました。

電車を乗り換えたところで座れたので、背音っていたリュックと和菓子の袋を膝の上に置いたところで、コロン….と、膝の上からクリスタルボウルのケースが、電車の床に逆さまになって落ちました。


あわてて拾って、中身を触って確認しました。
大丈夫、大丈夫。よかったーー。

と思い、実家について、クリスタルボウルを出すと

ジャリッ…

と嫌な音が聞こえました。


うっそ…。(汗)


うそでしょう?うそうそうそうそ。誰か嘘だと言ってーーーー。

という願いも虚しく。なんと、ハトホルの金のエッチングがされていた
クリスタルボウルが1つだけ。割れていました。

(号泣)


私の持っているクリスタルボウルは、クリスタルトーン社というところのアルケミークリスタルボウルなのですが。
定期的にハトホルのエッチングが施されたボウルを作っています。
毎回デザインを変えているようで、
このボウルのデザインの時には、実は3つしか作られていなくて。
つまりは世界に3つしかないボウルのひとつ!でした。
そのうえセドナレッドロックの入ったボウル。
新しく購入したボウルとの相性もとても良くて、
これから、たくさんこのボウルの声が聞ける。と思っていた矢先です。

(号泣)

しばし愕然としたものの、
とりあえずは他の3つが無事だった(買ったばかりのボウルもはいっていたので)ことに感謝しました。
(他の3つにヒビなど入っていないか、穴が開くほど見てしまった)


私、もともと、物に執着はあまりないので、わりと諦めも早いのです。
というか、もう諦めるしかない状況だったので。(涙)
とはいえ、数日経過したいまでも、多少ショックではあって。

何が悲しいのか。って、考えていたら、世界で3つしかない貴重なボウルを割ってしまった。ってことよりも、彼女(ハトホルボウル)の美しい声が二度と聴けなくなったしまった。ということでした。

音を響かせるたびに、「ああ、今日も美しい音だなぁ〜」って思っていた。
そのシーンを思い出すたびに一番、脳内でリピートされるのが、このハトホルボウルでしたから。


ーー
この時に、美大予備校時代の知人が、30代の頃、若くして奥さんを亡くされたのをきっかけに、自分の心臓の音を録音しはじめて、それをグラフ状に記録した作品を創って、世界的なアーティストになったのですけれど。
彼のことがふと、頭の中に浮かびました。
そして当時の私にはわからなかった彼の感じていた何か。その心臓の音を録るという「衝動」の意味が、今、理解できた気がしたのでした。

ふるえ。

それは、生命が放つ音。なのですね。
私たちに聴こえてくるのは、声だったり、呼吸音だったり、心臓の鼓動だったり。

「死」が訪れると、そうしたものが聴こえなくなってしまう。

その「音」が、「振動」が、聞こえなくなることへの寂しさが
残された人たちに悲しみを感じさせるのかもしれない。

だから、愛おしい存在を亡くした時、人は「もう一度、声を聞きたい。」
と思うのだと。

思わず、うちの寝ている猫たちのお腹に顔をうずめて、その呼吸の音を
しばし聞いてしまいました。(めっちゃ嫌がられました(笑))



翌日の朝、
ハトホルのボウルは一緒に入っていた3つのボウルを助け、犠牲になってくれたんだなぁ..と改めて感じて、感謝を伝え、追悼しよう。と、
クリスタルボウルを奏でることにしました。

その前にシャワーを浴びていたんです。

シャワー中に、犠牲かぁ…と呟きながら、ふっと、また、
あの映画(『鹿の国』)のことを考えていました。

そうしたら、です。
あの鹿が(意識の世界に)現れたんです。というか、感覚としては、
私の中に、あの「映画で観た鹿」の意識が一瞬入ってきたんです。

私が鹿になっていました。

私は撃たれた。
生命が途切れるその慟哭の中、私はその狩人を許していた。
この身を捧げて愛を送った。

そんな体験を瞬間的に感じた後

「私があなたを赦しているのに、
あなたは何故、あなたを赦さないのか?」

と鹿に言われました。


ああ.….。

ーー
自然という大きな神。
その圧倒的な自然の神に私たちはとっくに赦されている。
そして包まれている。
彼らは崇高であり、私たちをずっとずっと赦し、見守っているのだと。

そうした大きな自然が、存在が、私を赦しているというのに
なぜ私は私を赦せないのか。と問われたのでした。



ーー
この圧倒的な大きさの何かを感じたとき、
私の創っている世界のそのさらに外側には、もっと大きな神が在って。

たとえば、フラワーオブライフで言えば一番外側の円のような。

「フラワーオブライフ〜私の宇宙観2」より


生も死も含まれている、この私のちっぽけな意識の世界などを
はるかに大きく超えた世界があり、その中に在るんだと。

なんだか…そんなことを感じて。
頭がさがるというか。そんな思いでした。

多分、自然ともっと身近に暮らしている人々は、そうした自然なるものの大きさ、圧倒的な何か、を日々感じていたわけで。

私たちがそこから切り離された時に、それを感じられなくなった時に
それが「祟り神」と言われるようなこととなり、
そうして自然信仰はたくさん道をそれたりしながら
レイヤーのように重なって来たのだろうと。



ーー
シャワー中に、そんな体験があったからと言って
「人間の傲慢さ、強欲さみたいなもの。自然や動物に対しての罪悪感。」
が、消えたわけではありません。

ただ、今回、記事のタイトルにもした
「あなたは何故、あなたを赦さないのか?」
と言う、鹿からの言葉。

この言葉がずっと残って。

マントラのように唱えているのです。

答えは降りて来ません。ただ自分に聞いてあげたい。

「あなたは何故、あなたを赦さないのか?」




ーー
そして昨日(2月9日)、
また懐かしい記事に好きをしてくださった方がいて、

広田奈津子さんと東ティモールの人たちの言葉を改めて読んでいました。
自然とのこと、それを大きな目で見ている広田さんの言葉のひとつひとつは改めて美しくて。

教育だとか信仰だとか、そういうものよりももっと前の土に染み込んでいるかのように渾然一体とみんなと暮らしていると言う環境があって、だからこそ相手も私と同じである

コントロールできるはずがない。と知っている人たちは強いですよね。
人が何かをコントロールするということが、本来無理なんだということ


これを読んでいて、東ティモールの言葉
「ネイネイ マイベ ベイベイ」を、自分に言っていました。

ネイネイというのが「優しくゆっくり少しずつ」という意味で
マイベというのが「だけど」という意味で
ベイベイがいつも、「いつまでも」という意味なんですね。


私の中の罪悪感や怒り。そうしたものを手放せない。
赦せずに抱えたまま。だけれど、
もう抱えたままの自分でもいいと。
私は、その赦せない私のまま、私を少しだけ赦してあげようと、
今日、思いました。

「ネイネイ マイベ ベイベイ」です。



そして、この『鹿の国』の映画を観るきっかけとなったぼたんさんが
今朝、記事をアップしてくださいました。

今回、私が感じた違和感について、生と死、見えない世界について
まだ自分の中にストンと落ちるような体験はないけれど
でも、ぎゅっと握っていた何かを少しだけ解くきっかけとなりそうな
ヒントのかけらがたくさん散りばめられていました。
素敵な記事でしたので、ぜひお読みくださいませ。



最後まで読んでいただいてありがとうございました。





So beautiful world
by kalo

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Kalo
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