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選択の日々と選ばなかった未来。
生きていると、毎日、本当に沢山の選択をして生きてきているんだなぁと、ふと時々思うのです。
夕飯に麺類が食べたいけど……パスタにするかお蕎麦にするか饂飩にするか……そんな小さな選択から、人生の道を分けてしまうかも知れないくらいの大きな選択まで。
時に、その選択が「最良のもの」なのかと不安になったり迷ったりしてしまうことも。大きな選択の時こそ迷うし、すごくエネルギーを使うんですよね。色んな人に相談して、でも答えが出せなかったり、時に嫌な汗をかいたり、知恵熱が出てみたり(苦笑)。
でも、よくよく考えると、その選択が「最良のもの」かどうかは、実は誰にも分からないものかも知れないと思ったりもするのです。そこには、“選んだ未来”と“選ばなかった未来”があって、ここでは良い方を選び取りたいという欲求があるのと同時に、どこかで失敗したくないという気持ちもあるのかなと思ったりもします。
人って、失敗したくないと思うと緊張してきたり萎縮してしまいがちなんですよね。それが時に心を疲れさせてしまうこともあるのかなと感じたりもしています。
選んでみた先で、つまずいてしまった時に“選ばなかった未来”だったら自分はどうだったのだろう?そっちの方が良かったのかな?どんな気持ちでどんな風に過ごしていたのだろう?などと思ってしまう事もあったりします。
でも、もしかしたら、どっちを選んだとしても、それぞれの良い部分だったり幸せだったり、そして、つまずく事もあるのかも知れないと思ったりもしています。
“選ばなかった未来”だからこそ、想像や妄想がいくらでも出来てしまう、というのもありそうな気がします。ある意味、ちょっと現実逃避のようにも聞こえるかも?(笑)
西洋占星術の石井ゆかりさんが、ある方の同様の質問に答えていて、どちらにしても、選ばなかった未来は選ばなかっただろうといった主旨のことを書かれていて、しっくり来たのを覚えています。
人は迷いつつも実は心の奥底で決めていることの方が多いのかも知れないですね。
今日はひとつの選択でめちゃくちゃ悩んで疲れてしまったので、こんなテーマで書いてみました。
選択を迫られる日々だけれど、実は、何事もケ・セラ・セラが1番かなと思いつつ。