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学習方法と認知処理傾向の関係について、死ぬまでにやりたいこと・・・実践知を積み重ねる・複数の人による実践知のプラットホームを作る

(写真は1年半前に、自分の実践について頭の中を整理したときの図)

徒歩圏内の地方大学院に入学して1カ月しないうちに衝撃を受けた。

私は、自分が興味関心を寄せている「認知処理傾向」(←当時はこの言葉も知らない)と「学習方法」の関係の研究というのは、どこかに先行研究がきっとあるに違いないと思っていた。自分はそれをなぞり、さらに足りないところを集中的に研究してみようと思っていたのだ。
が、
それを探しても探してもうまく見つけられなかった。
もしかしたら、外国にそれがあるかもしれない。
また、自分の探し方も悪いのかもしれない。
今もそう思うところもあるのだが、
とにかく見つけられない。
(詳しい経緯はこちらの記事

私の力量では、この研究は無理だ・・・
そう思って、修士論文は軸を少しずらしたものを書いた(『自己調整学習支援プログラム作成の試み』2021)。

今、大学で、この修士論文に書いたことをさらに具体的にしたことを実践させてもらっている。(集団ワークショップと、個別相談という形式)

さて、この先どうしよう。
特にこの1年考え続けていた。
年齢も重ねてきてしまったし、自分の健康問題もあるし、
自分のこの興味関心を、どこでどのように次に繋げたらいいのだろう・・・
「次」って何だろう・・・
ずっと悩んでいた。
人生の中の”良い思い出”として、そして、何人かの人に幾ばくかの貢献はできたかもしれない、ということで、満足して終わりにしてもいいかもしれない、と、何度も何度も、思った。


諦められない。終わりにできない。
この問題は、どうも、私という人間を構成する重要な一部であるようなのだ。(2年半前の記事にも書いている)
死ぬまで、こだわり続けるのかもしれない。
ならば、
寿命が尽きるまで、行けるところまで行ってみたらどうだろう。
というか
行けるも何も、まだ何もしてないよね?自分。
やってから、答えを出しなよ。
というのが、この3年間の実践を重ねた私の答えだった。

そして、
今の私の、様々な障壁をガン無視したやりたいことは、
「これら認知処理傾向と学習方法についての実践知を積み重ねるプラットホームを作ること」
だ。

研究を突き詰めるのは、私の力量と私の環境では、無理がすぎる。
それに、私は研究者になりたいのではなく、実践者になりたい。
研究者がネタを探せるような、そして私と同じようなことを考えている実践者がヒントを見つけられるような、実践と考察や仮説、時には説得的データを伴った研究も入っている「経験・実践」の集積する場所を作れないだろうか。「研究会」のような。
まだ、自分と同じことを考えている人に出会っていないので、
誰かと始めることはできない。
なら、
一人でまず始めてみて、
それを晒しながら、仲間を募ればいいんじゃないか。

私の脳みそで絞り出した結論はイマココである。
自分のホームページを作ればいいと思って、無料ホームページの作り方も見たのだが、それよりまず、書き出そう、と思って、
noteの整理を行なった。

今思いつくだけでも、色々と困難があるのは承知しているのだが(それもおいおい書きながら整理していかなくてはならない)、
修士課程にいた時に学んだこと、その後の3年間の実践と勉強から学んだこと、そこから導かれる正確な検証は抜きの「仮説」を、どんどん書いていきたいと思う。


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