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困っている人が、”支援者”に「助けて」と言うまでに

「困っていたら声をかけてね」
と発信することはとても重要だ。
今困っている人に対して、
支援している人が存在する、ということを知らせることになるし、
繋がろうと思えば繋がれる、と知っていることは、何かが起こった時や何か行動するときの安心材料や自信につながるからだ。

けれど、
「いつでも相談に乗るよー」
と支援室の椅子に座っていても、
”困っている人”はそこに来るまでに様々に葛藤する

「援助要請プロセスの段階」というものがある。
様々な研究から一定程度の結果がそこにまとめられている。

段階と意思決定ポイントは次のようになっている。
(1)問題が存在しているかどうか決定する。
(2)援助が必要か/欲しいかどうかを決定する。
(3)援助を要請するかどうか決める。
(4)援助のタイプ(目標)を決める。
(5)誰に援助を求めるか決める。
(6)援助を求める。
(7)援助を得る。
(8)援助を受け取る。

『自己調整学習の多様な展開』p287 日本版2019.3.25発行 福村出版
”第8章 自己調整学習方略としての援助要請” 
Stuart A. Karabenick & Jean-Louis Berger 訳;瀬尾美紀子

こんな感じだ。
たとえば(6)の援助を求めるまでに、具体的には例えば以下のような悩み方をすると考えられる。
なんか、辛いけど、何に自分は困っているんだろう?(1)」と自分でうまく意識化できないために、支援要請に来ない。
困っていることはある。でも自分でなんとかできる。他人に解決してほしくない(2)」と思って、支援要請に来ない。
助けて欲しい、って言う? もうちょっと我慢できるんじゃないかな。そもそも他人にこれ、解決できるのかな。助けてって言わなくてもいいんじゃないかな(3)」と思って、支援要請に来ない。
どこを助けて欲しいんだろう。どう助けて欲しいんだろう。相談内容を整理しなくちゃ・・・(4)」とやっていて、支援要請に来ない。
誰に言えばいい?わからない。あの人が支援するっていうけど、馬が合いそうにない。他に誰かいるかな(5)」とやってて支援要請に来ない。

それが言葉になると、「別に困ってない」「今のままでいい」「どうなってもいい」「自分でやる。やるべき」「困っているけど、何を相談したらいいかわからない」「どうせ誰も解決できない」「支援する人なんて信用できない」「どこに行って相談したらいいかわからない」などとなる。

このプロセスは、この順番通りに現れるわけではないし、もっと入り組んだ背景も絡んでくる。
人間関係の複雑さや、自分自身の生きづらさの中で、かろうじて自分の世界を守っている人は、1箇所を崩されたら全てが崩壊しそうに感じる。そういう人は、”支援要請”によってそれらの均衡が崩れ、自分の世界が壊れそうに感じるかもしれない。アドバイスを受けたら新たな「やるべき負担」が増えそうで、そうしたらもっと辛くなるかもしれないと考えるかもしれない。

そもそも”支援”は、自発的にやってきた人のみを対象とすべきかもしれない。(介入を行わない)

それでも、支援者は「このまま放っておくと大変なことになりそうだ」「目の前のこの人をその大変さの中に置きたくない」と思って、なんとか支援に繋げられないか考える。

私の場合は
「私は、おそらく、あなたが安心して良い相手です」と信頼関係を確立すること。
「何が困っているか、一緒に考えるところから始めよう。それによって負担が増えそうだったら、それもなくせるように一緒に考えよう」
「いくつか似たような例を見てきたから、参考にできることを示せるかもしれない。それを使うかどうかはあなたの自由。でも、少しでもやりたいと思ったら、一番負担なくできる方法も一緒に考えるよ」

というようなことを、初期の段階で伝えられるよう、
コミュニケーションのとり方を工夫する、ってことになるかなぁ。
そして、支援をする時は、それを受け取る人が「これは役に立った」「嫌ではなかった」と実感できるような内容を、なるべく支援の始めの段階に持って来られるように工夫して、次の支援要請に繋げる、ってことかな。

なかなか大変でしんどいことではある。
今、私の頭の中には、過去の学習者と、現在の学習相談者と、そして介護支援につなげたい母のことが浮かんでいる。

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