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その奨学制度で、英語力は伸びるのか?(その1;奨学制度の仕組みから考える)

アメリカの田舎の大学で日本語を教えながら、自分の学びたい授業を取り、その時の授業料、食費、住居費が無償提供(or該当額を支給)される、という私が体験した制度。
留学は色々なタイプのものがありますが、この制度で留学した場合、「英語力は伸びるのか?」「自分の学びたいことが学べるのか?」
今回は、この辺りに絞って書いてみようと思います。
事情は単純ではないです。

閑話休題
もう留学して7年くらい経ってしまいました。
体験記を書いてきましたが、記憶に自信のない部分も出てきました(当時の日記みたいなのを参照したりしていますが)。前回、アメリカに到着するところまで書いて、もう少し先まで、同じ奨学制度を利用する仲間と合流するところまでは時系列で書き、そのあとはテーマごとに書こうと思っていたのですが、なかなか自分が書き進めないので、とりあえず、思ったテーマで書いてみます。それが上記のテーマです。

このシリーズでは、「52歳で、日本の田舎に住んでて、主に子育てと介護で”表舞台”からは隔絶されていたおばさんが、突然単身アメリカ留学すると何が起こるか?(ちなみに途中脱落帰国。2017年のこと)」ということを、英語学習面ではなく(それも少しは書くけれど)、生活面の視点からちょっと紹介します。誰かに何か参考になるかもしれないなー、というのと、ようやく振り返る気持ちになってきたので、自分のまとめを兼ねて書いています。思い出し思い出し書くので、たまーにという感覚で、ながーい期間をかけて、書こうと思っております。時系列も前後するかもしれません。

この奨学制度には三段階の選考がありました。
日本の受験や採用のイメージからいくと、選考が進むにつれ、だんだん難しくなって、最後は少数精鋭で競う、となりそうですし、私もそう思っていました。
でも、今から思うとちょっと違います。
”能力”は、書類に書かれた内容、英文エッセイ(家で書く)、TOEFLなどの紙ベースの媒体で測り(保証し)、
”意思”と”教育力・現場力”を、面接で測り、
そして、最終は”アメリカの各大学が、どのような人材を求めているか”と、応募者側の”意思””能力”のマッチングで決まります。

逆にいうと、マッチングが全てです。能力の”優劣”ではありません(TOEFLの点数が高ければ良いってもんじゃない)。
そのマッチングを行うために、自分はアメリカの大学でどういうことをしたいのか、面接でしっかり伝えることが必要です。そうでないとミスマッチが起こります。(ミスマッチを面白がれればそれで良いのですが)
この制度にエントリーしているアメリカの各大学が、どの程度のどんな”能力”を求めているかが問題なので、それさえクリアしていれば、書類上の”優劣”は関係ありません。財団は”優劣”をつける立場にありません。下手すれば、大学には「専門の講師はいるから、財団から来る人は補助的に日本語喋ってくれればそれでいい」というところもあるし、逆に「授業計画、シラバス書き、試験、成績つけ、成績不良者フォロー、日本文化体験企画を、全部一人でやれ。誰も助けられないけど。(私これ)」というところもあるわけです。
アメリカ大学側の希望と、応募者の希望がマッチすればそれで良いのです。

さて、この財団ですが、
HP上は”留学して学ぶ気持ちを応援”的なことが書かれており、それは本当にそうなのですが、
もうひとつ、大きな目的があり、それは
「良質な日本語教育をアメリカの大学で行う」
ということがあります。
もともと、この財団の始まりが、当時、日本人駐在員の家族などが、日本人だということだけで大学に呼ばれ、不安ながら日本語の授業をし、そのレベルがあまりにまちまちだったこと。ともすれば、「これじゃない」授業だったこと。それを憂いた創設者が始めた制度です。
だから、アメリカの大学側には「次につながる良質な教員を送る」と謳っていますし、留学生には「しっかりした日本語教授法」を学んでもらいます。だから、赴任する前の日本語教育授業(6〜7週間のサマースクール)は受講必須となっています。日本の大学で日本語学科を出ていようとなんだろうと、必須です。(値段もそこそこします。寮費も食費も健康保険料も自腹です)
決して、学びたい人を全力応援!
というだけの機関ではなく、アメリカの大学側からの希望も聞き、それにも応じるわけです。留学したい人の学びの応援だけでなく、良い日本語クラスを作りたいアメリカの大学への応援をしており、そのマッチング機関なのです。

だから、奨学制度を受けられるかどうかの選考では、英語力よりも、教育力をみられます。英語は、大学側が求めるレベルができれば良いのであって、財団は「教育力」をみます。(私の面接風景→https://note.com/free_edu/n/nc0afa36f4653

さて、
アメリカの大学側からこの制度を見てみましょう(私がこれに気づいたのが、このシステムを中途で終わらせて帰国する少し前あたりですね。だんだんわかっていったという感じです(~_~;) そりゃ、ストレスでした)
アメリカ側に財団から要求されるのは、
日本人講師に提供される授業料・食費・住居費です。
それから、勉強できるようにしてくださいね、くらいはあるはずです(正式な文書は読んだことない)。ビザを何で取っているかにも関わるから。
おそらく、それ以外は自由です。
よって、いかにその日本語講師(アメリカの大学側にとっては、留学生というより講師)を扱うかは、大学の裁量に任されています。
で、先ほど書いたような仕事内容の違い、生活の違いが出るわけです。

あまりにひどい扱いがあるといけないので、財団は時々各大学を回って、状況チェックなどをしているようです。

が、この制度の谷間があります。
たとえば・・・・
・日本語講師がたくさんいる大学・・・授業準備、授業や大学に関わるいろいろ、生活の支援など、全て日本語で行われがち(仕事なので、「全部英語でやってください」などは通用しない)
・すごく忙しい大学・・・「空いている時間はあるから、できるんなら授業取れば?」というスタンス(私、これ)。日本語授業準備が忙しすぎて、自分が学ぶクラスの準備ができない
・colleague(同僚とか)と、馬が合わないケース。故に会話が少ない。(仲間外れにされちゃった人もいます。職場なのでそれに伴う色々はあります。)

そして、さらに、財団として問題を起こしたくない故に、以下のようなことが言われます
・日本人以外の人の車に同乗するな(これ、生活するときすごくポイントになる)
・政治的な催しに行くな。そばで見るのも巻き込まれるからダメ
・人が作った酒飲むな(これは常識ですかね)
などなど。
ぜーんぜん守らない人もいるかもしれませんけど。
特にこの財団に限らず、日本人講師が問題を起こして、日本へ返されたという例は、結構あるようです(赴任大学でも聞いた)

そういう中で、いかに英語力を伸ばすのか?自分の学びをするのか?
ということです。
英語力を伸ばしたくて、勉強したくてこの制度に参加したのに、
最後、赴任先の授業が終わってから、現地の「英語学校」に入り直したり、やりたい勉強を思うように進められなかった人もいると聞いています。
赴任して「日本にいるときより英語力が落ちた」人もいま
す。

でも、そうでない人もいます。
英語力も伸び、
さらに次のステップの大学や専門学校へ就学し
学会に出たり、
もしくは、アメリカで就職し、
資格を取り・・・
(これらの人は私の同期にもいます!アメリカで本を出した人も!)
日本で、その学びを活かしている人も多数います。

それは、どういうケースが考えられるか。
私の周りの小さな見聞の寄せ集めですが、
次回、書いてみたいと思います。


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