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michicusa
前向きな諦念になるまで
ずっと、生きにくいと思っている。今まで楽しいこともあったし、嬉しいこともあった。
恵まれてることもあるし、自分でそのためにも努力してきた。それでも、いつも胸にモヤモヤしたものがある。
昨日、学生の頃に一際優秀で目立ってた人たちを調べたらやっぱりとても立派になっていた。好きなこととは言え、多分たくさん研鑽を積んで周りが無難な道を選んだなかで、将来の確約もない切実で孤独で険しい道だったろう。
私は彼ほど自らの可能性を信じきれなかった。だから、無難な道を選んだ。
緑黄色社会の「sabotage」じゃないけど、私は生まれてきてせめて何がしたかったのか、それを知りたい。それを知らないまま消えたくない。
自分は何に時間を割きたいと思うか、何をしてたら楽しいか、ずっとずっと模索してる。
勿論、楽しいだけで食ってけないのは100も承知で、食うために働くことも尊いことだと思うけど、まだ私は「楽しい」も捨てきれないらしい笑。諦めることができる日が来たら、せめて前向きな諦めに。それまでは片足ずつ足掻くつもりだ。
一つ言えるのは、学生時代はモラトリアムではないと言うこと。学生時代から一際目立つ人はやはりそれだけのことはある。それを確認できただけでも無駄ではなかった。私が彼と自分とを比べて可能性の違いを感じたのは、その時点でオリジナリティな視点が彼にはあって私にはなかったこと。
オリジナリティとは型から生まれる。
おそらく沢山の型を内部に溜めて生まれたのだと思う。
だから、今年は好きそうなことを続けてみることを目標にしている。積み重なったものがおりのようになって、後から見てわかることがあるかもしれない。