生きていく、選んでいく。
年上の人と話すのが好きだ。なぜなら、私はいつも自分の望む生き方がわからないから。
私はもともと、多分小学校くらいの時には、仕事だけして生きていこうと思っていた。家庭を作りたいという夢はなかったと思う。高校の時くらいにはなんとなく仕事をしつつ、子どもがいてもいいかもと思っていた。でも特に実は深く考えていなかった。それより今は目の前のことをしていくことが大切だと思っていたから。そうやって、社会人になって驚いたのは、その多様性だと思う。いろんな生き方をしている人がいて、子のいない夫婦や、毒親のような家庭もあること、家族だからこそ孤独な人もいることを知った。ある意味守られていたのだと思う。
私は子どもの頃に、世間のいうようなレールというか目の前のことをするのは、必ずしも悪いこととは思っていない。親が毒親とか自分にとって悪影響しか与えない存在なら別だけれども、子どものために良かれと思ってやっているのであればそれは必ずしも悪いだけのこととは思えない。正直、それはスタンダードな生き方で、万人が万人なじめるものではないにしろ、人と同じ生き方だから批判も少ない生き方でもあるから。大人になっていくということは、そういったなかで取捨選択していくということに他ならない。なかには、それが早く来る人もいれば遅く来る人もいて、そのままスタンダードな生き方になじむ人もいれば、なじまない人もいる。
私は多分、年上の人と話すことである意味疑似体験をしている。もちろん私に話していないことも沢山あると思うけれども、そんな生き方もあるのだなと思うのだ。これは多分子育てにおいても同じなんだろうなと思う。もう一度人生をリアルに体験できる機会を与えてくれるのが子育てなのだろう。そして自分の子どもを見ながら、そんな生き方もあるのだなと思うのだ。
迷って選択していないことすら「選択しない」という選択になっていくそんななかだけれども、不正解だったと時に思う選択でも、結局トータル正解にできるようにやっていくだけだと思っている。