備忘録:鈍くなってしまった
とてつもなく気分が落ちるときがある。
私はフリーランスでお仕事をしていて、自由に働く働かないを選択できるけど働かないなら働かないでそれは病む。
今やっていることはやりたいことではないのだから。
いつからか、自分がわからなくなった。
それは学生時代なのかもっと小さいころからなのか。
ある時から傷つかないように鈍くなったのだ。
今もそう、自分の気持ちがはっきりとわからないのだ。
私はよく一人で行動するのが好きだしそれができる。
と言うのだけれど、それって
一人が好きなわけではなくて、いじめられて一人になることが多くなったからそれに慣れた楽なだけであって友達が要らないというわけではないのだ。
私は20代も半ばだけど、学生時代に一回お付き合いをしたのみでそこから好きな人ができず(恋人なんかいらないと思っているところもある)休日も一人だ。
これも、この鈍くなったのが原因だと思っていて
恋人はいらない
友達はいらない
フリーランスで働く、社会には出ない
=もう誰ともかかわりたくない、その方が楽傷つかないから
という方程式ができているのだと思った。
私は先月くらいにお金に対してまじめに取り組む、と宣言していたけれど…こういった深いところで自分の気持ちがわからないまま幸せにはなれないと思ってしまって…。
今までは原因不明で落ち込んでも持ち前の楽観さでどうにかしていたけれど、悪夢は学校の夢だったりYouTubeを見ると同級生に似ている人がいて病んでみたり飲食店に行くと同級生がいたらどうしようという不安にさいなまれて生活しているのだ。
私のお金が欲しいとい欲求は結局、お金があればそういった上記のことも解決できるかもしれないという思い込みがあったからなのだと思う。
はあ?繋がってないじゃんって今は思うのだけれど、つい最近までお金が欲しいのはお金が手に入れば友人も恋人も仕事も何もかもとんとん拍子に手に入るという謎の方程式があったのだ。
そうじゃないよね。
私が欲しいのは友人や恋人、何なら体験できなかった楽しい青春なのに…。
そこをお金とすり替えて、楽しいのか楽しくないのかわからない微妙な仕事に友人はいらない恋人はいらないと突っぱねつつもあこがれの友人像や恋人像を描いてみたりと心と本音がちぐはぐなのだ。
本音が奥深いとこにあって(深海みたいな)、浮かんでくるのに時間がかかる感覚。
そんな鈍りに鈍った私の感情や気持ち、どうなりたいかっていうところを癒すためにも五感をはっきりさせていきたいと思う。
今思うとたまにフラッシュバックする嫌なことであったり悪夢であったりも、そういう自分の嫌だった過去を癒してほしいという自分の願いを無視しまくった結果なのかなと思う。
今日からはちょっと断捨離をして、マイナスな言葉をあまり使わないのでバシバシ肯定してあげたいと思う。
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