赤澤 誉四郎

1999年3月から2019年7月まで、『KASHIMA ANTLERS FREAKS』の編集に携わり、20年間、アントラーズを見続けました。現在は、滋賀に移住して芸術と福祉という全く違う世界で働いていますが、FREAKS制作の現場で見聞きしたエピソードをnoteに記していきます。

赤澤 誉四郎

1999年3月から2019年7月まで、『KASHIMA ANTLERS FREAKS』の編集に携わり、20年間、アントラーズを見続けました。現在は、滋賀に移住して芸術と福祉という全く違う世界で働いていますが、FREAKS制作の現場で見聞きしたエピソードをnoteに記していきます。

最近の記事

1999年5月号 vol.44 side-A 高桑大二朗

「フリークスのおもしろさは、選手が本音を語るところにある」と言われていた。理由はいろいろあるだろうけど、編集部が選手と一緒にいる時間が長かったことで、信頼関係が生まれていたことは間違いない。 私が最初に編集に携わったフリークスの表紙&巻頭インタビューはGKの高桑大二朗だった。 横浜マリノスで5番目のキーパーだった高桑は、1996年、アントラーズに移籍。身長190cmというスケールの大きなGKだったが、アントラーズのGK陣も層が厚く、なかなか出場機会を得られなかった。そんななか