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1999年5月号 vol.44 side-A 高桑大二朗

「フリークスのおもしろさは、選手が本音を語るところにある」と言われていた。理由はいろいろあるだろうけど、編集部が選手と一緒にいる時間が長かったことで、信頼関係が生まれていたことは間違いない。
私が最初に編集に携わったフリークスの表紙&巻頭インタビューはGKの高桑大二朗だった。
横浜マリノスで5番目のキーパーだった高桑は、1996年、アントラーズに移籍。身長190cmというスケールの大きなGKだったが、アントラーズのGK陣も層が厚く、なかなか出場機会を得られなかった。そんななか、1998年5月2日の湘南戦で、初スタメンのチャンスが訪れる。
「緊張はしましたが、だてに7年間も練習してきたわけじゃない。半端な練習をしてきたつもりもない」「7年間の総決算だったんです」(FREAKS vol.44)
自分の人生をかけるつもりでピッチに立ったという高桑。その気持ちが、これまで彼の練習姿を見てきた先輩編集者にも伝わってきたという。選手の人生をかけた必死なプレーが、サポーターの心を打たないわけがない。
高桑は、この試合を1-0の勝利へと導き、ポジションをつかみ取った。チームも勢いに乗りチャンピオンシップを制し2度目のJリーグ年間優勝。陽気なキャラクターも後押しして、高桑はムードメーカー的な存在になっていった。

マリノス、ざまを見ろッ


「本当にうれしかったゲームは2ndステージのマリノス戦での勝利です。こんなことを言っては大人げがないのかもしれませんが『マリノス、ざまを見ろッ』というのが本音でした。レンタル移籍とはいえ、結果としてマリノスから放出されたわけですから」

フリークスを編集していると、急きょ移籍が決まりコメントを取りに行くことがよくある。近年は、「移籍先のチームで成長して、戦力としてアントラーズに戻って来れるように頑張ります」といった声が聞かれることが多い。しかし、20年前は、「もう、戻ってきませんよ」「ぜったい見返してやりますよ」というコメントを残す選手も普通にいた。それでこそプロだし、そういう選手は不思議と、チームに必要とされて戻って来たりもした。

高桑の話にはしっかりオチがついている。1998年チャンピオンシップの試合後、早野宏史氏がインタビュアーとして高桑の前に立った。マリノスの監督として、高桑を戦力外として張本人だ。
「いい仇討になると思っていたら、なんと返り討ちにあってしまいました」と高桑。「『なんで、お前、マリノスのとき頑張らなかったんだよ』と言われて、『ハイ』なんて答えている自分が情けなかったし、おかしかったですね(爆笑)」

ちなみに、当時、フリークスの巻頭を書いていたライターのSさんは、私に文章の書き方を教えてくれた恩人ですが、おもしろエピソードをさらにおもしろく盛り上げてしまうような筆力の持ち主でもありました。20年前のインタビューは、多少盛られているかもしれません。なにせ、昔のライターはテープを回さずにメモだけで原稿を書いていましたから。


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