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拍子木

金曜の夜から今日まで、地元は大祭で賑わっている。これを書いているいまも、いくつかの屋台からお囃子が聴こえて来る。いまの家に引越すまで、私はすぐ隣の町で育った。物心ついた頃から、唄や手踊りが盛んな町の屋台を引いていた。両町の屋台小屋は真隣でいまの町にある。そこを元の町の法被で通るのは気まずかった。引越した翌々年、正絹で仕立てた慣れない色の法被を着て、いまの町に参加した。歌わない道行きは手持ち無沙汰で、知り合いも少なく、翌年からはお祭りに出るのをやめた。「地元の祭り」というアイデンティティが萎んでしまったのかもしれない。

可愛い声が「そらやれ」と叫んでいる。大人が「そりゃそりゃ」と合いの手を入れる。昨日今日と私は家を一歩も出ずに、お祭りの「音」だけを聴いている。オーディオブックやテレビやオンライン受講の合間に、なにかを懐かしむでもなく、誰も呼びに来なくなった家で、お祭りが終わるのを静かに待っている。

写真のドゥルガー・プジャ(儀式)は、この時期に西ベンガルで行われる大掛かりな祭りだ。秋冬をインドで過ごしていた頃は、このプジャを現地の友人たちと見物して歩いた。今年も盛大に行われたのだろう。

近くを通る屋台の三味線が拙い。会所前、拍子木でお囃子も屋台も止まる。先頭の青年が他町の会所へ挨拶する声が響く。会所前を通り抜けるあいだ屋台の歯車の軋む音だけがして、再び拍子木。お囃子が始まり、屋台も人もゆっくりと歩み出す。交通規制でいつもより静かな町から、新幹線の発車音とそれが遠ざかる音が聞こえた。


いまの想いをいま書ける言葉で残す場と考えております。拙い乱文で恐縮です。時々お読みいただけますと幸いです。