第5話 失敗の本質
平沢さんは、55センチを釣ったジャークベイトを結び変えている。
オービタルピリオドのフラットサイドtypeカバーを手に取っていた。
丁寧に結び変えながら、平沢さんは話し続ける。
「雪平君、好きな食べ物はなんだい?」
平沢さんは急に話が飛びまくる。
それはもちろん、意図があるのだ。
最終的に繋がるので、話を合わせる。
「そうですね。カレーライスが好きです。」
「そうか、自分でも作るのかい?」
「そうなんですよ。スパイスの調合にもチャレンジしていて、職場の先輩に絶賛されました!海上自衛隊のカレーが好きなんですけど、実は基地や艦ごとに味が違うんですよ。とにかく、奥が深いですよ!よければ今度、ごちそうしましょうか?」
好きなことを聞かれると、ついついしゃべってしまうのは僕のクセだ。
好きなことを聞かれるのは、嬉しい。
つくづく、単純だなと思う。
「ありがとう。でもね。」
平沢さんは、ラインを結ぶ手を止めた。
「嫌いなんだ。カレーが。」
え?嫌いなの!?
小さい頃、給食で食べたでしょ?
あれだけ嬉々として語ったのに。
振る舞うどころの話じゃない。
「冗談だ。カレーは好きだよ。」
ウソかい!
「というように、どれだけカレーライスを作る腕前を磨いたところで相手がカレーライスを嫌いだったら、食べてもらえない。雪平君がスピナーベイトのウェイト、カラー、ブレードをあれこれ工夫して努力していたことを『犬の道』と表現したが、戦術を練りに練って工夫しても、そもそもの戦略が間違えば戦術は水の泡なんだ。」
「そもそもの方向を決めるというのは、これは戦術に対して戦略であるとも考えられる。カレーライスの作り方を磨く努力をしても、振舞いたい相手がカレーライスを嫌いだったら、努力は実らない。」
なるほど、イシューを設定するというのは戦略を決めることであるとも考えられる。
そして、イシューを解決するために行う努力が戦術であるということだ。
「雪平君がそうやって、細かい努力を先にしてしまうのは、ある意味仕方がないのかもしれない。日本人は戦術を磨くことは得意でも、戦略を自分で決めることは苦手なんだよ。先の大戦の敗因の一つだ。」
平沢さんは、太平洋戦争の話を持ち出してきた。
「失敗の本質」という、太平洋戦争で日本が負けた原因を分析した書籍があるらしい。
戦闘の話かと思いきや、組織論について書かれたものだそうだ。
日本軍の敗戦は、メンタル、思考、前例主義などにも原因の一端があるらしい。
そして、現代の日本人も全く同じミスを繰り返している。
とのことだ。
「雪平君は、黒川の段々畑でスピナーベイトを投げて魚を釣ったね。そこでスピナーベイトを突き詰めたのは日本人的な発想だ。より丁寧に、繊細で緻密にという考えだ。一方で戦略を立てるとなるとまた違う考えになる。このエリアでこの釣りができるということは、バスは何を求めているか、そもそも大きな魚はどこにいるか、という戦略を描いて合理的に釣っていく。これはアメリカの発想だ。この戦略があいまいだと、いくら戦術を磨いてもミッションには負けてしまうんだよ。」
平沢さんが言うには、段々畑は中流域にあるシャローフラットと石垣のブレイクがあるスポットで、増水中は流れが当たらず古い水が残りやすい。
そこで小さいバスや大きくても痩せこけたバスが釣れたということは、逆のスポットにコンディションのよい魚が集まっている。
そう推測すると、フレッシュな水が次々と注ぎ込み流れが発生している箇所に、コンディションの良い魚がいる可能性がある。
平沢さんはそう仮定して大曲へと向かったのだ。
「でもですよ?もし大曲まで来て魚が釣れなかったらどうします?その可能性は考えなかったんですか?」
「それも、日本人的な発想だ。目先の勝利に飛びついてしまい、大局的な勝利を得られない。とりあえずボウズを逃れたい、魚を触っておきたい、みたいな考えはしなくてもいいと思う。僕たち一般アングラーは『今日必ず釣らなければならない』なんて発想は持たないことだ。価値ある魚、一生の記憶に残る魚に出会うには、多少の失敗やボウズは気にしちゃダメなんだ。冒険していいんだよ。感動はその先にある。」
平沢さんはフラットサイドtypeカバーをキャストした。
レッドホットパンクラインという、いかにもアメリカンなカラーだ。
「そういや、どうして結び変えたんですか?まだそのルアーで釣れそうなのに。」
「さっきのジャークベイトだと、泳ぐレンジが少し上過ぎてね。もう少し下のボトム付近を引きたいところなんだ。かといって、底には大きめのゴロタ石や沈んだ木もあってジャークベイトではリップが小さくて回避しにくい。そして、カバークランクほどの水の色でもない。だからフラットサイドクランクなのさ。」
平沢さんは巻きながら話してくれた。
55センチを釣ったルアーを躊躇なく結び変えた行動は、にわかには信じられない。
僕はともかくだけど、平沢さんの腕前なら巧みに回避できそうな気もする。
そういう難しいことをクリアしていくのが、大きなバスへの道なんじゃないの?
「バスを釣るには、何も難しいことを集中してやりぬく義務があるわけでは無いんだ。適したルアーが他にあるならそちらを選んでも構わない。日本人はどうしても修行や鍛錬を美化しがちだが、しっかり状況を読んで適切なルアーを選ぶほうが合理的じゃないかな?思いの外、魚は意外と釣れるものだよ。」
とはいえ、だ。
あんな魚を釣ったルアーを躊躇なくチェンジして別のルアーを結べるだろうか?僕なら、ルアーを信じて押し通してしまうかもしれない。しかし、平沢さんの言うような「合理的で柔軟な思考」をくぐらせたら、ルアーチェンジの意図は僕でも納得がいく。
日本人は変化を嫌う傾向が多い。変化を拒みたいから、古来からの伝統や男子の本懐、男の美学みたいな言葉で変化をごまかしてしまう。日本人はそんな「空気」が蔓延していて、どうも流されやすいんだ。
平沢さんはボトムの感触を感じながら巻いたり、時折リーリングを止めたりしている。
「流れの中にある大きな岩や沈んだ木の裏に反転流ができているね。おそらく、魚はそこに潜んでいる。」
平沢さんがリーリングを止めた瞬間、ラインが張られ、ロッドティップが強く引き込まれたのが分かった。
「きたよ!」
平沢さんはフッキングをした。魚は必死で抵抗する。エラ洗いをした個体は、とんでもない体格のバスだった。
「この頭の振り方・・・これはあるかもしれないな。」
平沢さんは丁寧にファイトし、ランディングした。
平沢さんはこぶしを握って、小さな小さなガッツポーズをしていた。
「うーん、無かったか。悔しいな。」
平沢さんは天を仰いでいた。このサイズで満足できないんだろうか。僕なら自慢しまくるのに。
平沢さんは深呼吸をし、そして微笑んだ。
「フフフ。クギを刺されたのかもしれないな。僕はまだ七滝をちゃんと分かっていない。これからも謙虚に鍛錬するよ。」
平沢さんは爽やかだった。
僕たちはお店に戻ることにした。
失敗とはなんだろう、成功とはなんだろう、あの魚を手放しで喜ばなかった平沢さんを見て、あの人の成功がイメージできなかった。
平沢さんの言葉は、地平の遥か彼方から飛んでくる。
ただ、僕の犬の道を平沢さんが辛辣に指摘した理由は、今なら分かる。
あまりに多くの尊い命が失われた大戦。それを憂い、悼み、偲び、もうあんな出来事は起こすまいと誓う。
それでも、僕らは変わっていない。
非戦を掲げて、平和を望む。でも僕らの本質は、実は変わらないままなのかもしれない。そんな世の中を何とかしたい。もしかしたら、平沢さんはそう思っているんじゃないか?
お店でアイスコーヒーをご馳走になった。そして、「失敗の本質」も見せてもらった。数ページめくって、閉じた。難しい。
「平沢さんは、どうしてその『失敗の本質』を読んだんですか?」
平沢さんは壁に掛けられたアメリカのポスターやブリキに目を遣った。
「バスフィッシングはアメリカで生まれたスポーツフィッシングだろう?だから、アメリカの文化や日本との違いを知りたいと思ったんだ。僕らと彼らは何が同じで何が違うのか。ただ、興味が湧いたのさ。」
ということらしい。あの本に書かれているほんの一部分を知っているだけで、ああも行動が変わるのか。読書とは恐ろしいものだなと思う。
知っているか、いないか。この差は、大きい。
僕たちは、知ろうとし無さ過ぎるのだ。過去の過ちも、目の前のできごとも。