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身近な大富豪のデスゲームに陥る前に
食べ物の話は空腹時だからこそ、受け入れられる
食べ物関連の書籍にせよテレビ番組にせよ、気持ちも胃袋も満たされている中で、ましてや満腹になった大きな腹をなでながら、それでも貪欲に食物を摂取しようとは思わない。
最近、海外の知人から日本のテレビって食べ物の番組ばかりねと指摘された。
なるほど、街の情報番組も飲食店の紹介ばかりで、日本人は食べることにしか興味がないし視聴率が取れるのは「飲食のみ」と言われたような気がして恥ずかしくなった。
それに、大食い番組も多い
私は子どもの頃から大食い番組が嫌いだった。
学校では、貧富の差が激しい国や貧困で水ものめない状況の子どもたちがいる事を教わっていたし、それに対して私たちで何ができるだろうかと考えさせられた。
子どもながらに、下品な番組だなと感じていて面白さが分からなかった。
パンの欠片すら食べられずガリガリの肉体になってしまった人々が同じ地球上にいる。
一方日本では大食いを競って、嘔吐した人を見て笑ったりしていることに、悲しみと怒りの混ざりあった、むなしさを感じた。
いまだに終わらないデスゲーム
いまでも油断していると、番組で急に「大食い」が出てくる。
食べ物を口へ運ぶたびに「カウっ」と変な効果音が付けられ、いま食べていますよと誇張され、私の神経を逆なでる。
この人が尋常じゃない量を食べている間にも、空腹で亡くなっていく人がいる。
この人が不必要な量を食べている間にも、戦争で物資が与えられないまま、空腹に耐え抜いている人がいる。
栄養を摂取できず、体力が回復しないまま他界する人がいる。
大食いが仕事なので…という人もいるだろうけど、
この理不尽な大富豪の遊びは、いつまで続くのだろう。
その製作費で救える命
大食いする予算があるなら、貧困やネグレクトで充分な食事ができない子ども達を救えないのだろうか。
こんな子どもたちが日本にたくさんいる現状が見えていないのだろうか。
15分で20人分を完食ペロリッ!あははは… じゃないんだよ
大人20人分の食料で、何人の子どもが食事にありつけるんだろう。
その製作費で、子ども食堂の活動がどれだけ支えられるだろう。
24時間限定で、福祉だボランティアだ、募金だなんだかんだと命を唄ってる場合なんだろうか。
なぜ普段からやらないんだろう。
なぜその日だけ?
1年に1度やればOKなパフォーマンスなの?
やっぱりデスゲームは人の目に触れにくい仕組みで開催されているんだな。笑えないバラエティって残酷だ。